各国の世界遺産を紹介しています。海外旅行が初めての方も、海外旅行の達人も海外に行くなら世界遺産を旅してみませんか?海外旅行で世界遺産を訪れる際の参考にして頂ければ幸いです。

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海外旅行は世界遺産のパリのセーヌ河岸へ行こう!

パリのセーヌ河岸
Paris, Banks of the Seine


海外旅行は世界遺産パリのセーヌ河岸に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のパリのセーヌ河岸をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,4
登録年  1991年

Paris, South Bank of Seine

世界遺産のパリのセーヌ河岸は、フランス共和国、首都パリ市内を流れるセーヌ川にかかるシュリ橋からイエナ橋まで、約5kmの河岸に点在する建造物群です。

世界遺産のパリのセーヌ河岸は、3世紀に紀元前3世紀にシテ島にケルト系のパリシィ族が住み着いたのが始まりで、この島を中心に周辺部へと発展しました。

世界遺産のパリのセーヌ河岸の登録対象は、右岸にあるマレ地区、パリ市庁舎、ルーブル宮殿、チェイルリー公園、コンコルド広場、グラン・バレ、プティ・バレ、シャイヨー宮、左岸にあるオルセー美術館、ブルボン宮殿、アンヴァリッド、シャン・ド・マルス公園、エッフェル塔です。
また、世界遺産のパリのセーヌ河岸は、シテ島にあるノートルダム大聖堂、パレ・ド・ジャスティス、サン・ルイ島のサン=ルイ=アン=リル教会などが対象となっています。

この他、 パリのセーヌ川にかかる橋のなかで現存している最古のボンヌフ、パリの橋の中でも最も美しいとされるクサンドル3世橋がクサンドル3世橋が、世界遺産のパリのセーヌ河岸に含まれます。

【世界遺産パリのセーヌ河岸の見どころ】
世界遺産パリのセーヌ河岸右岸のルーブル宮殿は、いわずと知れたルーブル美術館です。
また、コンコルド広場は、ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑が行われた広場です。

世界遺産パリのセーヌ河岸左岸のフランス革命100周年を記念して建てられたエッフェル塔も、もはや言うまでもない程有名です。
オルセー美術館には、印象派の画家の作品が数多く収蔵されていることで知られています。

Paris, banks of the Seine

シテ島にあるノートルダム大聖堂は、中世ゴシック建築の傑作と言われていま。
また、サント・シャペルでは、パリ最古の美しいステンドグラスが見られます。

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海外旅行は世界遺産のストラスブールのグラン・ディルへ行こう!

ストラスブールのグラン・ディル
Strasbourg – Grande île


海外旅行は世界遺産ストラスブールのグラン・ディルに行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のストラスブールのグラン・ディルをご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,4
登録年  1988年

"Petite France" in Strasbourg

世界遺産のストラスブールのグラン・ディルは、フランス共和国アルザス地方の中心都市で、ドイツとの国境に近いライン川の支流イル川沿いに位置し、古代ローマ軍の駐屯地を起源とする旧市街です。

世界遺産のストラスブールのグラン・ディルは、ストラスブールの一区画ですが、「街道の町」を意味するストラスブールは、中世からヨーロッパの交易の要所とし栄えました。

また、世界遺産のストラスブールのグラン・ディルの街は、中世以来、フランスとドイツとの間で領土の所有がいくどとなく移ったりしましたが、それが却って、世界遺産のストラスブールのグラン・ディルの街で独自の文化が生まれることとなったと言えます。

世界遺産のストラスブールのグラン・ディルには、ゴシック調やルネサンス調の建築物が多数残されています。

【世界遺産ストラスブールのグラン・ディルの見どころ】

ノートルダム大聖堂
世界遺産ストラスブールのグラン・ディルにあるノートルダム大聖堂は、砂岩の外壁を特徴とする高さ142メートルの大聖堂で、堂内の「天使の柱」や西正面のバラ窓に見られる見事な彫刻は有名です。
また、ノートルダム大聖堂の「からくり時計」も人気があります。

サン・トーマ教会堂
世界遺産ストラスブールのグラン・ディルにあるサン・トーマ教会堂は、宗教改革の中心となり、モーツァルトが演奏会を開いた教会堂です。

ロアン宮
世界遺産ストラスブールのグラン・ディルにあるロアン宮は、18世紀に建てられたロアン家の宮殿です。
現在は、宮殿内部には、考古学博物館、美術館、陶器などを集めた装飾美術館の3つのミュージアムがあります。

ストラスブールは、モミの木を卵やローソクで飾り付けるクリスマスツリーの発祥の地と言われています。
グラン・ディルにあるブログリー広場もクリスマスの時期は、きらびやかな飾り付けやイベントがあり、家族連れやカップルに人気があるスポットです。

海外旅行は世界遺産のポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)へ行こう!

ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)
Pont du Gard (Roman Aqueduct)


海外旅行は世界遺産ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,3,4
登録年  1985年
拡張年  2007年

Pont du Gard

ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)は、フランス共和国南部・ガール県のガルドン川に架かる水道橋である。

世界遺産のポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)は、アヴィニョンの東にある水源地ユゼスから50km離れたネマウスス(現ニーム)まで水を引くための導水路の一部でした。

世界遺産のポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)は、古代ローマ時代・紀元前19年頃に、アウグストゥス帝の腹心アグリッパの命により造られたとされています。

世界遺産のポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)は、3層のアーチからなっていて、全長275m、最上部までの高さは49mで、上部に行くほどアーチは小さくなっています。

世界遺産のポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)は、一説では史上初のプレハブ工法だとも言われています。

世界遺産のポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)は、水は流れていませんが、かつては、1日に2万㎡もの水を供給していました。

水路には、清掃のための水抜き用の穴も設けられていたり、また、水がスムースに流れるような工夫がなされていたりと、当時のローマ人の建築技術の高さを窺い知ることが出来ます。

世界遺産のポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)は、年間数㎜づつ傾いているため、約2,000年後には崩壊すると予想されています。

【世界遺産ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)の見どころ】
夜間にライトアップされた世界遺産のポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)は、昼間とは違った幻想的な姿を見ることが出来ます。

海外旅行は世界遺産のピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾へ行こう!

ピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾
Gulf of Porto: Calanche of Piana, Gulf of Girolata, Scandola Reserve


海外旅行は世界遺産ピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾をご紹介します。

登録区分 自然遺産
登録基準 7,8,10
登録年  1983年

Porto, Corsica

世界遺産のピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾は、フランス共和国のコルシカ島西部、カルヴィとアジャクシオの間にある湾です。

世界遺産のピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾があるコルシカ島は、火山活動で出来た島で、ナポレオンの生地とも言われてれています。

世界遺産のピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾は、いずれもリアス式海岸で、火山活動で形成された赤い岩だらけの断崖が特徴で、そのはか多くの洞窟や奇妙な形の溶岩を見ることが出来ます。

また、世界遺産のピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾はでは、珊瑚礁や海洋生物などの貴重な自然や動植物が保護されていて、カワウ、ヒメウ、ハヤブサ、ミサゴ等の鳥類も数多く生息しています。

世界遺産のピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾は、1983年に「コルシカのジロラータ岬、ポルト岬、スカンドーラ自然保護区、ピアナ・カランシュ 」の名で自然遺産に登録されましたが、2006年に現在の名に変更されています。

世界遺産のピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾は、フランスの自然遺産としては、一番最初の登録された地域です。

【世界遺産ピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾の見どころ】
世界遺産ピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾では、岩に張りつくように様々な植物が群生しちるのが特徴的で、これらの灌木林は「マキ」と呼ばれいます。

「マキ」で作ったお酒やジャム、そのほかコルシカ料理は、現地でしか味わえません。

尚、スカンドーラ自然保護区では、自然環境を厳格に保護するため、立ち入りが制限されています。

海外旅行は世界遺産のサンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会へ行こう!

サンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会
Abbey Church of Saint-Savin sur Gartempe


海外旅行は世界遺産サンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のサンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,3
登録年  1983年
拡張年 2007年

Saint-Savin-sur-Gartempe (Vienne)

世界遺産のサンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会は、フランス共和国南西部、ポワトゥー・シャラント地方ヴィエンヌ県、ガルタンプ川の左岸のサン・サヴァン村にある教会です。

世界遺産のサンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会は、811年にカール大帝によって建てられ、5世紀の殉教聖人のサヴァンの名前に由来すると言われています

その後、世界遺産のサンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会は、戦争によって破壊されましたが、11世紀末にロマネスク様式で再建されました。

16世紀には、世界遺産のサンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会は、宗教的な争いが起こったことで荒廃します。

そして、17世紀には世界遺産のサンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会は、一旦は修復が試みられましたが、今度はフランス革命によって再度荒らされることとなりました。

世界遺産のサンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会は、1840年になってから修復が開始され、1849年には修復を完了しています。

世界遺産のサンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会は、1983年に「サンサヴァン・シュル・ガルタンプ教会 (Church of Saint-Savin sur Gartempe)」の名で登録されましたが、2006年に現在の正確な名に変更され、2007年には範囲が拡大して登録されています。

【世界遺産サンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会の見どころ】
世界遺産サンサヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会には、玄関廊の壁には「黙示録」、身廊(しんろう)のアーチ形天井には「天地創造」や「楽園追放」など旧約聖書の36場面の壁画残されいます。

また、地下礼拝堂の天井にはこの地で殉教した聖サヴァンの生涯が描かれた絵を見ることが出来ます。

2012.08.03.412 - SAINT-SAVIN - Abbaye de Saint-Savin-sur-Gartempe

海外旅行は世界遺産のナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場へ行こう!

ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場
Place Stanislas, Place de la Carrière and Place d'Alliance in Nancy


海外旅行は世界遺産ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,4
登録年  1983年

FR Place Stanislas, Place de la Carrière and Place d'Alliance in Nancy

世界遺産のナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場は、フランス共和国北部、ロレーヌ地方の都市ナンシー(Nancy)の市街中心部にある3つの広場です。

世界遺産のナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場は、12~18世紀のロレーヌ公国の首都であったナンシーに、ポーランド王のスタニスラス公が、18世紀に建築家のエマニュエル・エレと金具工具職人のジャン・ラムールに命じ造らせたものです。

世界遺産のナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場のうち、スタニスラス広場は、フランス王ルイ15世の義父に当たるロレーヌ公スタニスラスが、国王を称え造らせた広場です。

世界遺産のナンシーのスタニスラス広場は、106m×124mの広さで市庁舎、凱旋門、ナンシー美術館などに囲まれ、6箇所にロココ様式の美しい金属細工で彩られた鉄柵があります。

また、世界遺産のナンシーのスタニスラス広場中央には、スタニスラスの像が設置されています。

世界遺産のナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場のうち、カリエール広場は、スタニスラス広場に面している凱旋門をはさんだ北側に位置する細長い広場で、中世には馬上槍試合なども行われていた場所です。

世界遺産のナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場のうち、アリアンス広場は、スタニスラス広場の数百メートル東に位置する比較的小さな広場で、中央には噴水があります。

【世界遺産ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場の見どころ】

世界遺産ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場は、夜はライトアップなどもされて、とても美しいです。

公園だけでなく、ナンシーの街全体がとても美しい景観です。

海外旅行は世界遺産のサラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩へ行こう!

サラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩
From the Great Saltworks of Salins-les-Bains to the Royal Saltworks of Arc-et-Senans, the production of open-pan salt


海外旅行は世界遺産サラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のサラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,4
登録年  1982年
拡張年 2009年

From the Great Saltworks of Salins-les-Bains to the Royal Saltworks of Arc-et-Senans, the Production of Open-pan Salt

世界遺産のサラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩は、フランス共和国東部、ドゥー県の都市ブザンソン近郊の町、アルケスナンにある旧製塩所です。

世界遺産のサラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩は、1773年にルイ16世の王室建築家に任命されたフランスの建築家クロード・ニコラ・ルドゥによって設計されました。

世界遺産のサラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩では、町を円形の理想都市として設計されましたが、工場経営の悪化から都市計画は途中で中断されました。

そして、世界遺産のサラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩では、製塩所が1895年に操業を停止しました。

世界遺産のサラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩は、1982年に「アルケスナンの王立製塩所」(Royal Saltworks of Arc-et-Senans)で登録され、2009年に「サラン・レ・バンの大製塩所」を加えて、現在の名で拡大登録されています。

世界遺産のサラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩の都市計画は、未完で終わっていますが、その計画は20世紀でも通用する画期的なものと評価されています。

【世界遺産サラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩の見どころ】

世界遺産サラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩は、1918年には落雷が原因で所長宅と礼拝堂が火事に見舞われましたが、現在は資料館になり、ルドゥが計画した理想的な産業都市づくりを模型で見ることが出来ます。

また、旧製塩工場群の展示館では、当時の面影を見ることが出来ます。

海外旅行は世界遺産のフォントネーのシトー会修道院へ行こう!

フォントネーのシトー会修道院
Cistercian Abbey of Fontenay


海外旅行は世界遺産フォントネーのシトー会修道院に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のフォントネーのシトー会修道院をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 4
登録年  1981年

Fontenay Abbey

世界遺産のフォントネーのシトー会修道院は、フランス共和国中東部ブルゴーニュ地方=ドール県モンバール市内にある修道院です。

世界遺産のフォントネーのシトー会修道院は、1118年、クレルボーの聖ベルナルドゥスによって創建されたシトー会最古の修道院です。

世界遺産のフォントネーのシトー会修道院は、サン=ベルナール渓谷とフォントネー川の合流点にあたる森の中に佇んでおり、厳格であるシトー会が、祈りと労働を基本としていたため、一切の余計な装飾を排除した造りとなっています。

世界遺産のフォントネーのシトー会修道院は、1269年には修道院は王国修道院となり、幾度かの戦乱の際、略奪に合いながらも、発展を続けました。

しかし、18世紀に修道院長選挙の廃止が強制されたことで、世界遺産のフォントネーのシトー会修道院は、荒廃へと進んでいきました。

フランス革命中の1791年には、修道院は製紙工場へと転用されました。

その後、世界遺産のフォントネーのシトー会修道院は、銀行家で芸術愛好者だったエドゥアール・エイナールの手に渡り、彼によって修復され、当時の姿を取り戻すことが出来たのです。

【世界遺産フォントネーのシトー会修道院の見どころ】

世界遺産フォントネーのシトー会修道院は、今では個人の私有物ですが、以下の部分は一般に公開されています。

・修道院付属教会
・教会参事会室
・修道士部屋
・寝室
・鍛冶場

修道院付属教会は、1127年から1150年に十字形の設計に基づいて建築されたもので、内部にはある12世紀の聖母子像が印象的です。 

海外旅行は世界遺産のアルルのローマ様式とロマネスク様式建造物群へ行こう!

アルルのローマ様式とロマネスク様式建造物群
Arles, Roman and Romanesque Monuments


海外旅行は世界遺産アルルのローマ様式とロマネスク様式建造物群に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のアルルのローマ様式とロマネスク様式建造物群をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  1981年

Arles - Roman Arena

世界遺産のアルルのローマ様式とロマネスク様式建造物群は、フランス共和国南部プロヴァンス・アルプ・コートダジュール地方にある遺跡群です。

世界遺産のアルルのローマ様式とロマネスク様式建造物群には、かつてアルルがローマ帝国に征服されていた時代に将軍ユリウス・カエサルによって都市が建設され、次のアウグストゥス帝の代までに築かれた数々の建造物が残されています。

世界遺産のアルルのローマ様式とロマネスク様式建造物群は、アルルが中世に、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」のうち、南仏を通るトゥールーズの道の始点になっていたことから、「世界遺産フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部として、重複して登録されています。

【世界遺産アルルのローマ様式とロマネスク様式建造物群の見どころ】

円形闘技場
 世界遺産のアルルローマ様式とロマネスク様式建造物群の円形闘技場は、古代ローマにおいて剣闘士競技などの見世物が行われた施設で、1世紀末頃に建造されました。
 円形闘技場は、外壁が長径約136m、短径約107m、高さ21m、上下各層には60のアーチが連なっていて、当時は25.000人を収容できた言われていますが、現在は、ほぼ外観のみしか残されていません。
 それでも、世界遺産のアルルローマ様式とロマネスク様式建造物群の円形闘技場は、アルルに現存する古代ローマ遺跡の中では最大とされています。

古代劇場
 世界遺産のアルルローマ様式とロマネスク様式建造物群の古代劇場は、紀元前1世紀に作られ、中世には採石場とされていましたが、後に要塞に転用され、さらに、19世紀に現在の形に復元されました。
 現在、ルーブル美術館に収蔵されている「アルルのビーナス像」は、17世紀にここで発掘されましたものです。

コンスタンティヌスの公衆浴場
 コンスタンティヌスの公衆浴場は、4世紀に建てられ、当時は宮殿、体操場、水風呂(フリジダリウム)、ぬるま湯風呂(テピダリウム)、熱湯風呂(カルダリウム)、サウナ風呂、プールなどが設置されてましたが、現在はカルダリウム(湯の部屋)、テピダリウム(ぬるま湯の部屋)、サウナ室のみが残っています。

サン=トロフィーム教会
 世界遺産のアルルローマ様式とロマネスク様式建造物群のン=トロフィーム教会は、アルルの聖トロフィムスの聖遺物を納めるために、11世紀から12世紀にかけて建造され、アルルの中心部ともいえる場所に位置しています。
 もとは大聖堂であったようですが、1801年に教会に格下げされました。
 正面扉口や回廊の柱などは、ロマネスク期の美しい彫刻で飾られています。

海外旅行は世界遺産のオランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門へ行こう!

オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門
Roman Theatre and its Surroundings and the "Triumphal Arch" of Orange


海外旅行は世界遺産オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のオランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 3,4
登録年  1981年
拡張年  2007年

世界遺産のオランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門は、フランス共和国の南部プロヴァンス・アルプ・コートダジュール地方、アヴィニョンの北約20kmに位置するローマ劇場と北に築かれた凱旋門です。

世界遺産のオランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門のローマ劇場は、1世紀、アウグストゥスの治世下で建造され、「古代劇場」とも呼ばれ、半円形が特徴です。

世界遺産のオランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門のローマ劇場の規模は、舞台幅が長さ約100m、高さが約37mの壮大で、収容人数は、8,000人~10,000人程だったと推測され、4世紀には劇場は放棄されて廃墟となりましたが、中世には防衛拠点としても用いられました。

その後、世界遺産のオランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門のローマ劇場は修復され、1869年からは毎年夏に芸術祭が開催されています。

世界遺産のオランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門の凱旋門の方は、紀元前20年頃にオランジュへの北の入り口に建てられたもので、高さ22m、幅21m、奥行き8m、ガリア人とローマ人の戦闘や戦利品などの彫刻が施されています。

【世界遺産オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門の見どころ】
世界遺産オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門で毎年夏に催される芸術祭は、1902年に、ギリシャ語で「舞踏」などを意味する「コレジー (Chorégies d'Orange)」 に改称され、現在に引き継がれています。

海外旅行は世界遺産のアミアン大聖堂へ行こう!

アミアン大聖堂
Amiens Cathedral


海外旅行は世界遺産アミアン大聖堂に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のアミアン大聖堂をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2
登録年  1981年

2009_05_25 206 Amiens Cathedral

世界遺産のアミアン大聖堂は、フランス共和国の首都・パリから北へ約130kmのところにある、ピカルディー地方アミアンにあるカトリック教会の聖堂です。

世界遺産のアミアン大聖堂は、アミアン大司教の命により、建築家ロベール・ド・リュザルシュによって1220年に建築が開始し、68年の歳月を経て1288年に完成しました。

世界遺産のアミアン大聖堂は、フランス最大級のゴシック様式の大聖堂であり、「ゴシック建築の傑作」とも呼ばれています。

世界遺産のアミアン大聖堂の建物は広大で、幅70m、奥行145m、高さ42.5mで、建物内外には数々の彫刻が飾られています。

【世界遺産アミアン大聖堂の見どころ】
世界遺産アミアン大聖堂の西正面の扉口周辺を飾る「石の百科全書」と呼ばれる彫刻群は有名です。
彫刻群の中央には幼いイエスを胸に抱く聖母マリア像が配され、その周囲には「最後の審判」、「美しき神」という彫刻やレリーフなどがあります。

Amiens - Cathedral 01

世界遺産アミアン大聖堂内部には、見事なステンドグラスが施されれています。

Amiens Cathedral

また、世界遺産アミアン大聖堂では、夏の夜と新年にソン・エ・リュミエール(Son et lumière)とよばれる音と光のショーが行われます。
ライトアップされた、大聖堂と見事な彫刻は一見の価値があります。

海外旅行は世界遺産のフォンテーヌブロー宮殿と庭園へ行こう!

フォンテーヌブロー宮殿と庭園
Palace and Park of Fontainebleau


海外旅行は世界遺産フォンテーヌブロー宮殿と庭園に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のフォンテーヌブロー宮殿と庭園をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,3
登録年  1981年

Fontainebleau - Francis I courtyard

世界遺産のフォンテーヌブロー宮殿と庭園は、フランス共和国、イル・ド・フランス地方、パリの南東57kmに広がる面積が170平方kmもあるフォンテーヌブローの森の中にある宮殿と庭園です。

世界遺産のフォンテーヌブロー宮殿と庭園は、元は狩猟場でしたが、16世紀がフランソワ1世がイタリアからルネッサンスの建築家を招いて建てたもので、以降、歴代王によって増改築が続けられたました。

その後、フランス革命で世界遺産のフォンテーヌブロー宮殿と庭園は、荒廃したものの、1804年に皇帝となったナポレオン1世により修復され、現在の姿となりました。

世界遺産のフォンテーヌブロー宮殿と庭園は、フランスで最も大きな宮殿です。

また、世界遺産のフォンテーヌブロー宮殿と庭園の室内装飾は、「フォンテーヌブロー様式」といわれ、彫刻、金工、絵画、漆喰装飾、木工を組み合わせ、屋外庭園には図案化した花壇のパルテアなどを取り入れたものです。

【世界遺産フォンテーヌブロー宮殿と庭園の見どころ】
世界遺産フォンテーヌブロー宮殿と庭園の内部では、歴代の王やナポレオンゆかりの家具・調度、装飾などが見られます。

退位したナポレオンがエルバ島に送られる前に、近衛兵と涙ながらに別れを惜しんだことから、「別れの中庭」とも呼ばれている宮殿の中庭も見ることが出来ます。

海外旅行は世界遺産のヴェゼール渓谷の先史時代遺跡群と装飾洞窟群へ行こう!

ヴェゼール渓谷の先史時代遺跡群と装飾洞窟群
Prehistoric Sites and Decorated Caves of the Vézère Valley


海外旅行は世界遺産ヴェゼール渓谷の先史時代遺跡群と装飾洞窟群に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のヴェズレーの教会と丘をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,3
登録年  1979年

UNESCO - Prehistoric Sites and Decorated Caves of the Vézère Valley

世界遺産のヴェゼール渓谷の先史時代遺跡群と装飾洞窟群は、フランス共和国、アキテーヌ地方の東北部、ドルドーニュ県の県都ペリグーの東南部のヴェゼール川沿いにある先史時代遺跡群です。

世界遺産のヴェゼール渓谷の先史時代遺跡群と装飾洞窟群には、鮮やかな洞窟壁画で有名なラスコー洞窟や、クロマニョン人の骨が発見されたクロ=マニョン岩陰遺跡、ネアンデルタール人が担ったムスティエ文化のムスティエ岩陰遺跡群が含まれます。

世界遺産のヴェゼール渓谷の先史時代遺跡群と装飾洞窟群のうち、とりわけラスコー洞窟の壁画は、民族学的、人類学的、美術的な視点から重要な遺跡とされています。

世界遺産のヴェゼール渓谷の先史時代遺跡群と装飾洞窟群のラスコー洞窟は、1940年に近くで遊んでいた子供によって発見され、洞窟の側面と天井面には、15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれた人間のほか、牛、馬、鹿などの動物の彩色画が100以上も残されていました。

世界遺産のヴェゼール渓谷の先史時代遺跡群と装飾洞窟群のラスコー洞窟は、発見後しばらくは一般公開されていましたが、壁画の外傷と損傷を防ぐため1963年から閉鎖され、一部の研究者を除くほかは、現在壁画は非公開となっています。

世界遺産のヴェゼール渓谷の先史時代遺跡群と装飾洞窟群には、147の集落跡と26の壁画が描かれた洞窟群からなる先史時代の遺跡、およそ10万点におよぶ石器や骨角器などありますが、実際の登録対象となったのは、洞窟壁画のある8つの遺跡群、洞窟壁画のない7つの遺跡群でした。

【世界遺産ヴェゼール渓谷の先史時代遺跡群と装飾洞窟群の見どころ】
現在は、世界遺産のヴェゼール渓谷の先史時代遺跡群と装飾洞窟群のラスコー洞窟のそばに複製洞窟「ラスコーII」が作られ、レプリカが一般に公開されています。

その他の洞窟では、ガイド付きで壁画を見られる場所もありますので、ぜひ世界遺産のヴェゼール渓谷の先史時代遺跡群と装飾洞窟群のツアーに参加してみて下さい。

海外旅行は世界遺産のヴェズレーの教会と丘へ行こう!

ヴェズレーの教会と丘
Vézelay, Church and Hill


海外旅行は世界遺産ヴェズレーの教会と丘に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のヴェズレーの教会と丘をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,6
登録年  1979年
拡張年  2007年

Basilique Sainte Marie-Madeleine de Vézelay

世界遺産のヴェズレーの教会と丘は、フランス共和国中部のブルゴーニュ地方イヨンヌ県の県都ヴェズレー市にあるロマネスク様式の「サント・マドレーヌ教会」と、その教会が建つ丘です。

世界遺産のヴェズレーの教会と丘の「サント・マドレーヌ教会」は、861年にベネディクト会の修道院で、焼失と改修を繰り返す中で、マグダラのマリアの聖遺体がここに眠っているとのうわさから大改修が始まり、12世紀の初頭には、幅12m、長さ64m、高さ18mの身廊(しんろう)を含めた東西の長さ約120mの広大な聖堂になりました。

エルサレム奪回に向かう十字軍は、ここ世界遺産のヴェズレーの教会と丘に集って士気を高め、巡礼者はここからスペインの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラに向かったとされます。

その後、教会で眠っているはずのマグダラのマリアの聖遺体が1279年にサン=マクシマンで発見されたことで、「サント・マドレーヌ教会」は衰退の一途を辿ることになります。

世界遺産のヴェズレーの教会と丘が再建計画がされたのは、1840年になってからのことで、作家プロスペル・メリメにより修復計画が実行に移され、遂に1876年に再建が完成しました。

【世界遺産ヴェズレーの教会と丘の見どころ】
世界遺産のヴェズレーの教会と丘の聖堂玄関廊の扉口上部には、ロマネスク美術を代表する「使徒に使命を与えるキリスト」の浮き彫り、身廊下の柱頭を飾る見事な彫刻など、ロマネスク聖堂と傑出した彫刻が残されています。

海外旅行は世界遺産のヴェルサイユ宮殿と庭園へ行こう!

ヴェルサイユ宮殿と庭園
Palace and Park of Versailles


海外旅行は世界遺産ヴェルサイユ宮殿と庭園に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のヴェルサイユ宮殿と庭園をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,6
登録年  1979年

Touring the Palace and Park of Versailles

世界遺産のヴェルサイユ宮殿と庭園は、フランス共和国のパリの南西郊外、イル・ド・フランス地方のイヴリーヌ県に位置するバロック建築の代表作で、豪華な建物である宮殿と広大な美しい庭園です。

世界遺産のヴェルサイユ宮殿と庭園は、世界で絶大な権勢を誇り、「朕は国家なり」と豪語し、太陽王とも呼ばれたルイ14世が自らの宮殿として建造しました。

世界遺産のヴェルサイユ宮殿と庭園は、当時の傑出した芸術家たちを集結させて、築かせた宮殿であり、1661年に着工し、完成までに実に50年近くもの歳月を要しました。

世界遺産のヴェルサイユ宮殿と庭園では、宮殿よりも庭園の建設の方がより労力が大きかったと言われてます。

これは、①庭園に水を引くこと、②貴族を宮殿に移住させるため(貴族から脅かされないようにするため)、③民衆の庭園内への出入りを自由にするため(民衆の心を掴むため)を意図したものとされています。

その後、世界遺産のヴェルサイユ宮殿と庭園では、ルイ16世とその妃マリー・アントワネットによって改築、ナポレオン1世も調度品の収集などを行い、富と栄華の結晶ともいうべき宮殿となったのです。

世界遺産のヴェルサイユ宮殿と庭園は、各国で豪華な王室が建てられ、当時のヨーロッパに大きな影響を与えとされています。

【世界遺産ヴェルサイユ宮殿と庭園の見どころ】
儀式や外国の賓客を謁見するために使われた「鏡の間」は、ヴェルサイユ条約が調印された場所です。

フランス式庭園の傑作といわれたヴェルサイユの庭園は、幾何学模様が特徴的です。

Touring the Palace and Park of Versailles

海外旅行は世界遺産のシャルトル大聖堂へ行こう!

シャルトル大聖堂
Chartres Cathedral


海外旅行は世界遺産シャルトル大聖堂に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のシャルトル大聖堂をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,4
登録年  1979年

Chartres Cathedral, Chartres, France

世界遺産のシャルトル大聖堂は、フランス共和国の首都パリからおよそ南西80kmの都市シャルトルに位置し、フランス国内において最も美しいゴシック建築のひとつと考えられている大聖堂です。

世界遺産のシャルトル大聖堂は、聖母マリアに捧げられた聖堂で、9世紀に国王シャルル2世が「聖母の御衣」を寄進すると、多くの巡礼者が集まるようになりました。

世界遺産のシャルトル大聖堂は、858年、1020年、1134年、1194年と4度の火災に見舞われ、もとはロマネスク様式だった建築は、最後の1194年の火災の後、ゴシック様式となりました。

世界遺産のシャルトル大聖堂が完成したのは、1219年で中世ヨーロッパのキリスト教世界を代表するのゴシック様式の建築物で、アミアン大聖堂、ランス大聖堂に大きな影響を与えとされています。

かつてシャルトルの街で最も重要な建物であり、経済の中心でもあった世界遺産のシャルトル大聖堂は、現在でも市営の建物で提供されるあらゆる活動の中心的な役割を果たしています。

【世界遺産シャルトル大聖堂の見どころ】
12世紀から13世紀に描かれ、総面積2000m2を超える世界遺産シャルトル大聖堂のステンドグラスは、必見です。

特に、特にその鮮やかな青い色が有名であり、なかでも聖母マリアとその子を描写したものや、アダムとイブの物語を描いた失楽園、ノアの箱舟が有名です。

Chartres Cathedral

また、世界遺産シャルトル大聖堂の内外を飾るゴシック彫刻の最高傑作といわれる19人の国王像が彫られた円柱などの彫刻群も見逃せません。

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海外旅行は世界遺産のモン・サン・ミッシェルとその湾へ行こう!

モン・サン・ミッシェルとその湾
Mont-Saint-Michel and its Bay

海外旅行は世界遺産モン・サン・ミッシェルとその湾に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のモン・サン・ミッシェルとその湾をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,3,6
登録年  1979年
拡張年  2007年

Mont Saint-Michel

世界遺産のモン・サン・ミッシェルとその湾は、フランス共和国北西部、ノルマンディー半島のつけ根モン・サン・ミッシェル湾とそこに浮かぶ小さな島にある修道院です。

モン・サン・ミッシェルは、「聖ミカエルの山」のを意味し、旧約聖書にその名が記される大天使・ミカエルのフランス語読みから来ています。

世界遺産のモン・サン・ミッシェルとその湾は、カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称されています。

世界遺産のモン・サン・ミッシェルとその湾の礼拝堂の建築は、709年司教オヴェールの夢に聖ミカエルが現われ、大天使を奉る聖堂建築を命じたことが始まりと言われています。

そして、世界遺産のモン・サン・ミッシェルとその湾にある修道院付属聖堂を中心にした建物建物は、10世紀に半ばから18世紀にかけて増改築が繰り返されてきました。

建物の主要部は、ゴシック様式で建てられていますが、内部は中世の様々な建築様式が混在しています。

モンサンミシェル湾は、干満の差が激しく、島は満ち潮の時には絶海の孤島になったり、引き潮の時には大陸と地続きになったりしていましたが、1877年に道路が作られ陸から島に渡れるようになりました。

しかし、年間250万人もの人が訪れる観光地でもある世界遺産モン・サン・ミッシェルとその湾は、急激な陸地化により、かつての景観が失われたとして、2009年には、岸との間の道路が取り壊され、新たな橋を架ける工事を行っています。

【世界遺産モン・サン・ミッシェルとその湾の見どころ】
現在は、世界遺産モン・サン・ミッシェルとその湾の修道院は、ベネディクト派の修道院として使用されていて、修道士の祈りを捧げる姿が今でも見られます。

海外旅行は世界遺産のリートフェルト設計のシュレーテル邸へ行こう!

リートフェルト設計のシュレーテル邸
Rietveld Schröderhuis (Rietveld Schröder House))


海外旅行は世界遺産リートフェルト設計のシュレーテル邸に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のリートフェルト設計のシュレーテル邸をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2
登録年  2000年

Rietveld Schröder House, Utrecht

世界遺産のリートフェルト設計のシュレーテル邸は、オランダ王国の首都アムステルダムの南25km、同国中部に位置するユトレヒト市(ユトレヒト州の州都)にある邸宅です。

世界遺産のリートフェルト設計のシュレーテル邸は、斬新なデザインの椅子で有名なオランダ人建築家ヘリット・トマス・リートフェルトが1924年に未亡人のトゥルス・シュレーテルのために設計した住宅です。

世界遺産のリートフェルト設計のシュレーテル邸は、デ・ステイル建築の代表作といわれ、赤・黄・青・白・灰・黒の線と面によって構成された造形は、まさに彼の斬新なデザインの椅子「レッド・アンド・ブルー・チェア」(1918年)を発展させたものと言われれています。

トゥルス・シュレーテル夫人は、1985年に亡くなるまで、この世界遺産のリートフェルト設計のシュレーテル邸で暮らしていました。 夫人が亡くなると世界遺産のリートフェルト設計のシュレーテル邸は修復され、博物館となりました。

【世界遺産のリートフェルト設計のシュレーテル邸の見どころ】

世界遺産のリートフェルト設計のシュレーテル邸は、博物館として現在一般公開されています。

海外旅行は世界遺産のドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)へ行こう!

ドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)
Droogmakerij de Beemster (Beemster Polder)


海外旅行は世界遺産ドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4,5
登録年  1999年

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世界遺産のドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)は、オランダ王国、アムステルダムの北、北ホラント州のプルメレンドの近郊のベームステルにある17世紀初期に造られたオランダ最古のポルダー(干拓地です。)

世界遺産のドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)は、中心である中央ベームスター、耕作地として発展した北ベームスターと西ベームスター、園芸農業が盛んな南東ベームスターの4つの区画に分かれています。

世界遺産のドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)は、もとは、オランダ東インド会社の海外派遣の食糧調達のための農地の創出を計画したものでした。

世界遺産のドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)は、一旦は農地として利用されましたが、風車を利用した排水もうまくいかなかったため、牧草地に転用されてしまいました。

その後、世界遺産のドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)では、排水技術の向上で土地が改善し、現在は花卉などの園芸農業などが営まれています。

世界遺産のドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)の田畑、道路、堤防、運河、風車、村落が織りなす文化的景観が見事に調和した設計は、その後のヨーロッパをはじめとする各地での干拓事業に大きな影響を与えたと言われています。

尚、世界遺産のドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)では、管理は、ベームステル市とワータースパップ(水域管理局)とが共同で行なっています。

【世界遺産のドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)の見どころ】

世界遺産のドゥローフマーケライ・デ・ベームステル(ベームステル干拓地)では、17世紀以来の景観が今なお残されており、それとともに歴史的意義が評価されたものです。

海外旅行は世界遺産のIr.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)へ行こう!

Ir.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)
Ir.D.F. Woudagemaal (D.F. Wouda Steam Pumping Station)


海外旅行は世界遺産Ir.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のIr.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,4
登録年  1998年

Ir.D.F. Woudagemaal (D.F. Wouda Steam Pumping Station)

世界遺産のIr.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)は、オランダ王国北部、フリースラント州南部のアイセル湖に面する町レメル (Lemmer) にある蒸気式揚水場です。

かつて、低地の多いオランダでは、排水のために風車が利用されていました。
19世紀入ると、より効率的な蒸気機関を利用した揚水ポンプ装置が発明され、風車がこれに取って変わりました。

世界遺産のIr.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)は、これらの揚水ポンプ装置のひとつです。

そして、世界遺産のIr.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)は、揚水施設としては世界最大規模です。

1920年に完成した世界遺産のIr.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)は、建築に携わった技師D.F.ヴァウダの名に由来しています。

往時オランダには、蒸気式揚水ポンプ装置が700以上もあったとされていますが、現在は蒸気式ものはほとんど使われていませんが、世界遺産のIr.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)は、今も使用されています。

尚、世界遺産のIr.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)のお蔭で、レメルの町が水没の難を逃れたとも言われています。

【世界遺産のIr.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)の見どころ】

世界遺産のIr.D.F.ヴァウダヘマール(D.F.ヴァウダ蒸気水揚げポンプ場)は、ガイドツアーで見学することができ、一部は博物館として公開されています。

海外旅行は世界遺産のキュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区へ行こう!

キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区br> Historic Area of Willemstad, Inner City and Harbour, Curaçao

海外旅行は世界遺産キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のキュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4,5
登録年  1997年

Historic Area of Willemstad, Inner City and Harbour, Curaçao UN

世界遺産のキュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区は、カリブ海の小アンティル諸島のキュラソー島にある、オランダ王国領アンティルの都市です。

世界遺産のキュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区は、当初、「オランダ領アンティルの港町ウィレムスタットの歴史地区」の名で1997年に登録されましたが、オランダ領アンティルの解体とキュラソー島の単独自治領化を踏まえ、2011年に現在の名称に変更されました。

キュラソー島は、1634年に当時スペイン領だったキュラソー島をオランダが奪い、植民地とされました。

オランダ海上帝国の植民都市として建設された世界遺産のキュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区では、アムステルダム要塞などの要塞をはじめ、カラフルなパステルカラーに彩られた美しい町並みを見ることが出来ます。

世界遺産のキュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区の対象は、歴史的な5つの地区、プンダ、オットロバンダ、ピーターマーイ、スカロー、コーテインとおよびプンダとオットロバンダを結ぶクィーン・エマ橋です。

【世界遺産のキュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区の見どころ】

・プンダ
 ブンダ地区は、アムステルダム要塞の周辺に発達した地区で、要塞周辺の市壁に囲まれた
 格子状の街路を持って いて、オランダの植民都市の典型とされています。
 現在、ブンダ地区の建物は、美術館や市役所や学校などの公共施設として利用されています。

・オットロバンダ
 オットロバンダには、1888年にクィーン・エマ橋とリフ・ウォーター橋が建設により、
 進出してきたユダヤ商人の戸建の住宅が、主に北部で残されています。

・ピーターマーイ
 ピーターマーイは、19世紀後半にはユダヤ人居住地として急速に開発が進んだが地区です。

・スカロー
 スカロー地区は、かつて裕福なユダヤ商人の住宅地でした。
 現在もウィレムスタット市内における高級住宅地とされ、いくつかは政府機関や
 民間オフィスとして活用されています。

・コーテイン
 コーテイン地区は、クィーン・エマ橋などの開通によって開発された比較的新しい地域で、
   20世紀初頭の建造物群が良好な状態で保存されています。

海外旅行は世界遺産のキンデルダイク-エルスハウトの風車群へ行こう!

キンデルダイク-エルスハウトの風車群
Mill Network at Kinderdijk-Elshout


海外旅行世界遺産キンデルダイク-エルスハウトの風車群に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産キンデルダイク-エルスハウトの風車群をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,4
登録年  1997年

Mill Network at Kinderdijk-Elshout

世界遺産キンデルダイク-エルスハウトの風車群は、オランダ王国のロッテルダムの南東約 13 km の位置する、レク川とノールト川に挟まれた地区の風車網です。

そもそも、オランダは低湿地や干潟を干拓してできた土地にある国で、国土は4分の1以上が水面下にあり、風車はオランダにとって欠かせないものでした。

現在は、風車は動力ポンプに取って代わられ、本来の役目を終えたものがほとんどですが、世界遺産キンデルダイク-エルスハウトの風車群では、とても良い状態で風車が保存されているため、観光地として人気があるスポットです。

現在、オランダには1,000基程の風車がののこされていますが、中でも18世紀に造られた風車が19基とまとまった数で残されていて、広い湿地帯に広がる壮観な姿を見られるのは、ここ世界遺産キンデルダイク-エルスハウトの風車群だけです。

世界遺産のキンデルダイク-エルスハウトの風車群の見どころ】
世界遺産のキンデルダイク-エルスハウトの風車群では、毎年4~10月、祝日を除く毎日、風車の内部が見学出来ます。

また、7~8月の毎週土曜日には風車が回され、9月の第2週には、毎晩イルミネーションが風車を美しく飾るイベントが行われています。

海外旅行は世界遺産のアムステルダムのディフェンス・ラインへ行こう!

アムステルダムのディフェンス・ライン
Defence Line of Amsterdam


海外旅行は世界遺産アムステルダムのディフェンス・ラインに行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のアムステルダムのディフェンス・ラインをご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4,5
登録年  1996年

Defence line of Amsterdam

世界遺産のアムステルダムのディフェンス・ラインは、オランダ王国の首都アムステルダムの市街中心部から半径15~20kmを取り囲む全長135kmに達する堤防で、45の要塞が配置されています。

世界遺産のアムステルダムのディフェンス・ラインは、戦時には防衛のために堤防の外側3~10kmが容易に冠水するような仕掛けが施され、しかも敵が船を利用できないよう水深は0.5~1m程度に設計されていました。

世界遺産のアムステルダムのディフェンス・ラインは、その建設のための法律が、1874年に成立してから、竣工までに実に20以上の年数を要しています。

世界遺産のアムステルダムのディフェンス・ラインの建設の開始が遅れた理由は、要塞の建材を石からコンクリートへと転換するに際し、コンクリート建設に対する十分な知識が当時のオランダにはなかったこと、また砂地である地盤を固める必要があったことが挙げられています。

世界遺産のアムステルダムのディフェンス・ラインが完成したのは1920年です。

結局、世界遺産のアムステルダムのディフェンス・ラインは、実戦で使用されることがないまま時代遅れのものとなりましたが、要塞の多くは現在、アムステルダム市議会が管理していて、観光が可能となっています。

【世界遺産のアムステルダムのディフェンス・ラインの見どころ】
世界遺産のアムステルダムのディフェンス・ラインは、史跡記念日(9月第2土曜日)は入場無料なので、この日を狙って観光するのもいいでしょう。

海外旅行は世界遺産のスホクラントとその周辺へ行こう!

スホクラントとその周辺
Schokland and Surroundings


海外旅行は世界遺産スホクラントとその周辺に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のスホクラントとその周辺をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 3,5
登録年  1995年

Netherlands; Schokland and Surroundings.

世界遺産のスホクラントとその周辺は、オランダ王国の首都アムステルダムの北東、フレヴォラント州に位置し、100年前はゾイデル海に浮かぶ島だった地域です。

世界遺産のスホクラントとその周辺は、中世はゾイデル海の中に突き出した半島で、魅力的な農地となっていましたが、度重なる海水による浸食により、15世紀には海中に孤立した島となってしまいました。

北海が荒れると波の影響を受け、ゾイデル海も荒れ狂うため、世界遺産のスホクラントとその周辺は絶え間なく洪水や高潮の脅威にさらされ、ついにはスホクランドの面積は19世紀の時点で中世の時期と比べてさらに縮小してしまいました。

世界遺産のスホクラントとその周辺の住民は、仕方なく低地を離れ、高台へと住居を移し、漁業などで生計を立てていました。

孤立した島、世界遺産のスホクラントとその周辺に住み村人たちは、独特の方言で使用し、独特の衣装を作り、島独自のライフスタイルや文化を築いていきました。

しかし、世界遺産のスホクラントとその周辺は海水による浸食が進み、水没の危険から住民を守るため、1859年に国王ウィリアム3世が恒久的に施設の建設を禁止し、島から住民を退去させて以来、無人島になりました。

そして、1932年に堤防が完成するとゾイデル海は、現在のアイデル湖となりました。

かつて、海だった場所は開拓が始まり、世界遺産のスホクラントとその周辺はもはや孤島ではなくなりました。

1937年には、スホクラントへの再入植が始まり、これにより当時の住居跡が発見され、さらには氷河期時代の化石なども数多く発掘され、一躍注目されることとなったのです。

【世界遺産のスホクラントとその周辺の見どころ】
現在スホクラントは、19世紀までの漁港や教会、住居、擁壁、灯台などが残る考古学遺跡群と、その歴史を展示するスホクラント博物館で有名となっています。

海外旅行 世界遺産 絶景 コンウォールと西デヴォンの鉱山景観

コンウォールと西デヴォンの鉱山景観
Cornwall and West Devon Mining Landscape


海外旅行は世界遺産コンウォールと西デヴォンの鉱山景観に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のコンウォールと西デヴォンの鉱山景観をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,3,4
登録年  2006年

UNESCO - Cornwall and West Devon Mining Landscape

世界遺産のコンウォールと西デヴォンの鉱山景観は、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(イギリス)南西部、南西イングランド地域、コンウォール州とデヴォン州に位置する鉱山の景観です。

世界遺産のコンウォールと西デヴォンの鉱山景観の地域一帯は、18世紀から19世紀のイギリスの産業革命の時代に銅やスズの採掘で栄えました。。

世界遺産のコンウォールと西デヴォンの鉱山景観地域の工業は1500年代半ばのスズの鉱山開発から始まりました。

当初、世界遺産のコンウォールと西デヴォンの鉱山景観のスズの生産量はそれほどではありませんでした。

1800年代後半に入ると、世界遺産のコンウォールと西デヴォンの鉱山景観地域では、ヒ素の産出が盛んになり、その産出量は当時のヒ素の世界的需要の半分に至るほどです。

さらに、19世紀初頭には、産業革命の象徴、蒸気機関の登場により、硬い岩盤でも容易に採掘が可能となり、また、高圧の揚水機関の発達によって、従来よりも遥かに深く採掘することを可能にし、飛躍的に銅の産出量が伸びました。
世界遺産のコンウォールと西デヴォンの鉱山景観地域における銅の産出量は、最盛期で世界の2/3を誇るほどです。

そして、世界遺産のコンウォールと西デヴォンの鉱山景観地域の機器類を含む鉱業技術は、世界中に輸出されました。

1860年に銅の大暴落が起こると、この地での鉱業は衰退していきました。

【世界遺産のコンウォールと西デヴォンの鉱山景観の見どころ】
現在もこの地には、産業革命の時代に使われていた煙突や、レンガ造りの施設の廃墟が多く残されています。

海外旅行は世界遺産のリヴァプール-海商都市へ行こう!

リヴァプール-海商都市
Liverpool - Maritime Mercantile City


海外旅行は世界遺産リヴァプール-海商都市に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のリヴァプール-海商都市をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,3,4
登録年  2004年

Liverpool Maritime Mercantile City

世界遺産のリヴァプール-海商都市は、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(イギリス)中西部、イングランド北西部にあり、18~19世紀に繁栄した大英帝国の貿易港です。

世界遺産のリヴァプール-海商都市は、1830年にリヴァプールと内陸のマンチェスターを結ぶ鉄道が開通、鉄道交通の要所となり、「大英帝国第二の都市」とまで呼ばれていました。
世界遺産リヴァプール-海商都市は、現代のドック技術や輸送大系、港湾管理などの発展においての先駆けです。

世界遺産のリヴァプール-海商都市は、リヴァプール中心市街の以下の6つの区画を対象としています。

【世界遺産のリヴァプール-海商都市の見どころ】
ピア・ヘッド (Pier Head)
 ピア・ヘッド は、「スリー・グレイシズ(Three Graces)」(美を司る3女神)と呼ばれる3つの美しい建物、ロイヤル・リヴァー・ビルディング (Liver Building) 、ドック・ビルディング (Port of Liverpool Building) 、キューナード・ビルディング (Cunard Building) が存在している場所です。

アルバート・ドック (Albert Dock)
 アルバート・ドックは、ピア・ヘッドの南に位置し、美術館テート・リバプール、マージーサイド海洋博物館 (Merseyside Maritime Museum) 、ビートルズ・ストーリー (The Beatles Story) などの観光名所があります。

スタンリー・ドック保存地域 (The Stanley Dock Conservation area)
 スタンリー・ドック保存地域は、ピア・ヘッドの北に位置し、世界最大級のレンガ建造物であるスタンリー・ドック・タバコ倉庫 (Stanley Dock Tobacco Warehouse) が残されています。

  ・キャッスル・ストリート保存地域 (The 'Commercial Quarter'/Castle Street Conservation Area)
 キャッスル・ストリート保存地域では、キャッスル・ストリート (Castle Street) 、オールド・ホール・ストリート (Old Hall Street) 、ヴィクトリア・ストリート (Victoria Street) 、ウォーター・ストリート (Water Street) 、デイル・ストリート (Dale Street) などで、中世のリバプールの姿を見ることが出来ます。

  ・ウィリアム・ブラウン・ストリート保存地域 (The 'Cultural Quarter'/ William Brown Street Conservation Area)
 ウィリアム・ブラウン・ストリート保存地域は、多くのリヴァプールの市営建造物群がある地域で、セント・ジョージ・ホール (St Georges Hall) 、ライム・ストリート駅 (Lime Street Station) 、ウォーカー・アート・ギャラリー、ワールド・ミュージアム (World Museum Liverpool) 、旧グレート・ノースウェスタン・ホテル (the former Great North Western Hotel) 、クイーンズウェイ・トンネル入り口 (the entrance of the Queensway Tunnel) などがあります。

デューク・ストリート保存地域 (Duke Street Conservation Area)
 デューク・ストリート保存地域には、ロープウォークス(The Ropewalk)と呼ばれる縄作り場があり、現在、この地域はロープウォークスと呼ばれています。

海外旅行は世界遺産のキュー王立植物園へ行こう!

キュー王立植物園
Royal Botanic Gardens, Kew


海外旅行世界遺産キュー王立植物園に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産キュー王立植物園をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,3,4
登録年  2003年

Temperate House

世界遺産キュー王立植物園は、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(イギリス)、首都ロンドン南西部のリッチモンドとキューにはさまれたテムズ川沿いにある美しい空間にある歴史的な造景庭園です。

世界遺産キュー王立植物園は、1759年に英国王ジョージ3世の母親にあたるオーガスタ皇女によって宮殿に併設の庭園として開設され、今では世界で最も有名な植物園として、膨大な植物コレクションが保管されています。

以前は、世界遺産キュー王立植物園では、資源植物を世界各地から集め、品種改良などをおこなう場でもあり、イギリス植民地内の各植物園と情報交換などを行うことによって、適合する植民地に移植してプランテーションでの大量生産を計画していました。

世界遺産のキュー王立植物園の見どころ】
世界遺産のキュー王立植物園には、毎年135万人がキューを訪れおり、公開されている様々な花や樹木の息を呑むようなす展示や歴史的な建造物を楽しむことが出来ますが、世界遺産のキュー王立植物園の最大の見どころは、パームハウスです。

UK: Royal Botanic Gardens, Kew - Palm House

パームハウスは、1844年から 1848年にかけ建設され、熱帯の木、潅木、ヤシなどを揃え、バナナやマンゴーの木もあります。
温帯植物園は世界最大の観賞植物温室であり、ホホバや世界最大の室内植物、チリのワインパームなど、亜熱帯の植物コレクションを見ることが出来ます。

海外旅行は世界遺産のダーウェント峡谷の工場群へ行こう!

ダーウェント峡谷の工場群
Derwent Valley Mills


海外旅行世界遺産ダーウェント峡谷の工場群に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産ダーウェント峡谷の工場群をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  2001年

UK: Derwent Valley Mills, Darley Abbey Mills

世界遺産ダーウェント峡谷の工場群は、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(イギリス)イングランド中部、ダービーシャー州のダーウェント川流域に位置する複数の紡績工場です。

世界遺産ダーウェント峡谷の工場群では、イギリスの産業革命期の1769年にアークライトの発明した水力紡績機の技術を取り入て次々に建てられた工場群が見られます。

世界遺産ダーウェント峡谷の工場群は、産業革命の最も初期の工場群として、現代の機械制大規模工場生産の根源を成すものとされています。

世界遺産のダーウェント峡谷の工場群の1771年設立のクロムフォード・ミルは、世界初の近代工場といわれています。

次々と工場が建設され、工場で働く賃金労働者も急増すると、世界遺産のダーウェント峡谷の工場群では、労働階級が生まれました。

世界遺産のダーウェント峡谷の工場群では、当時の労働者の集合住宅郡がそのままの姿で見られますが、これが今でいう社宅であり、団地の始まりです。

それまではなかった、勤務時間に合わせて工場に出勤するという生活スタイルも世界遺産のダーウェント峡谷の工場群で生まれたとされています。

世界遺産のダーウェント峡谷の工場群の対象となっているのは、クロムフォード (Cromford) 、ベルパー (Belper) 、ミルフォード (Milford) 、ダーリー・アベイ (Darley Abbey) 、ジョン・ランブ (John lambe) の工場群です。

これらの工場は、一部は現在、レストラン、ユースホステルなどに利用されています。

【世界遺産のダーウェント峡谷の工場群の見どころ】
リチャード・アークライトのマッソン・ミルにある労働繊維博物館 (the Working Textile Museum at Richard Arkwright's Masson Mill) には、約68万もの糸巻きが展示されています。

海外旅行は世界遺産のドーセット及び東デヴォン海岸へ行こう!

ドーセット及び東デヴォン海岸
Dorset and East Devon Coast


海外旅行は世界遺産ドーセット及び東デヴォン海岸に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のドーセット及び東デヴォン海岸をご紹介します。

登録区分 自然遺産
登録基準 8
登録年  2001年

Dorset and East Devon Coast

世界遺産のドーセット及び東デヴォン海岸は、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(イギリス)南部のドーセット州とデヴォン州に位置し、エクスマスからスタットランドに続く海岸線です。

世界遺産のドーセット及び東デヴォン海岸は、億5千万年前から始まる三畳紀から、ジュラ紀、白亜紀へと続く中生代の地層が、連続して見られる世界で唯一の場所です。

また、世界遺産のドーセット及び東デヴォン海岸は、ジュラ紀前期から白亜紀後期の恐竜イクチオサウルスの化石が発見されたことでも有名です。

地質時代の区分の一つである古生代で4番目に古い約4億1000万年前から3億6000万年前の時代のデヴォン紀の名前は、この東デヴォン海岸から来ています。

世界遺産のドーセット及び東デヴォン海岸では、ダードル・ドア(Durdle Door)の天然橋、ラルウォース・コウヴ(Lulworth Cove)の入り江や褶曲によってできた地形、ポートランド島(Isle of Purbeck)などの特徴的な地形を見ることも出来ます。

【世界遺産のドーセット及び東デヴォン海岸の見どころ】
世界遺産のドーセット及び東デヴォン海岸では、アンモナイトの化石などはビーチで簡単に見つけることが出来ます。

・ダードル・ドア(Durdle Door)の天然橋

Durdle Door, Dorset

・世界遺産のドーセット及び東デヴォン海岸の玄関口にあたる町ライム・リージス(Lyme Regis)は、化石が沢山取れるといわれています。

Lyme Regis, Dorset

海外旅行は世界遺産のソルテアへ行こう!

span style="color:#0000FF">ソルテア
Saltaire


海外旅行は世界遺産ソルテアに行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のソルテアをご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  2001年

Saltaire river and mill

世界遺産のソルテアは、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(イギリス)中部、西ヨークシャーのブラッドフォード地域のシップリーの近くを流れるエア川の河畔にあるヴィクトリア時代のモデル・ヴィレッジ (model village) です。

世界遺産のソルテアは、ブラッドフォード市長も務めた開明的な産業家チツス・ソルト爵 (Titus Salt) によって1853年に建設されました。

世界遺産のソルテアの名は、ソルト(Salt)とエア川(Aire)を組み合わせて付けられました。

当初ソルトは、ブラッドフォードでアルパカの羊毛紡績工場を経営していましたが、町の環境悪化や労働者の待遇改善を目的にソルテアに工場を移転しました。

世界遺産のソルテアで、彼はブラッドフォードよりずっと清潔な石造家屋を労働者たちのために建て、水道のある洗濯所、浴場、病院なども建てました。

さらに、図書館や読書室、コンサートホール、ビリヤード場、科学的な研究室、スポーツジムなどを備えた娯楽・教育施設も建て、施設救貧院、村民向けの菜園、公園、ボートハウスなども整備しました。

世界遺産のソルテアに工場を移転した理由のひとつには、運河や鉄道による地の利を活かして巨大な繊維工場を作る事がありましが、生産性を上げるために造られた世界遺産のソルテアが、結果的には理想的な都市造りとなったのです。

【世界遺産のソルテアの見どころ】
世界遺産のソルテアの創設者ソルトが埋葬されている会衆派教会

Saltaire church.

世界遺産のソルテアの羊毛紡績工場は、操業停止後複合施設として生まれ変わり、商業、レジャー、居住用など多目的に使用されています。

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