各国の世界遺産を紹介しています。海外旅行が初めての方も、海外旅行の達人も海外に行くなら世界遺産を旅してみませんか?海外旅行で世界遺産を訪れる際の参考にして頂ければ幸いです。

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海外旅行は世界遺産のフェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観へ行こう!

フェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観
Fertö / Neusiedlersee Cultural Landscape


海外旅行は世界遺産フェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のフェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 5
登録年  2001年

UNESCO - Fertö - Neusiedlersee Cultural Landscape

世界遺産のフェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観は、ハンガリー共和国、北西部のジェール・モション・ショプロン県から、オーストリア共和国、ウィーン南東のブルゲンラント州に広がる、中央ヨーロッパで二番目に大きいステップ湖です。

世界遺産のフェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観は、表面積は約315k㎡で、うち240k㎡がオーストリアの領土で、残り75k㎡がハンガリー共和国領で、ドイツ語ではノイジードル湖、マジャール語ではフェルテー湖と呼ばれています。

1993年にオーストリアのノイジードラー湖=ゼーヴィンケル国立公園が保護区として承認され、その後2001年にハンガリーのフェルテー湖周辺を合わせた一帯が世界遺産のフェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観として登録されました。

世界遺産フェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観の湖のほとんどは、多年草のヨシに囲まれているため、野生生物の絶好の住処になっていて、280種の鳥類が生息していると言われています。
特に渡り鳥が多く生息しています。


【世界遺産フェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観の見どころ】

世界遺産フェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観の湖は、「ウィーンっ子の海」としても知られ、ヨットやウィンドサーフィン、釣りなどが出来ます。

また、世界遺産フェルテー湖/ノイジードラー湖の文化的景観の湖周辺の丘陵地にはぶどう畑が広がり、中央ヨーロッパらしい田園風景や近代の宮殿などがあります。
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海外旅行は世界遺産のウィーン歴史地区へ行こう!

ウィーン歴史地区
Historic Centre of Vienna


海外旅行は世界遺産ウィーン歴史地区に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のウィーン歴史地区をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4,6
登録年  2001年

UNESCO - Historic Centre of Vienna

世界遺産のウィーン歴史地区は、オーストリア共和国の首都ウィーン中心部の半径1kmほどの旧市街地区とその建物群です。

世界遺産のウィーン歴史地区の起源は、ローマ帝国の宿営地ウィンドボナの時代に遡ります。

世界遺産のウィーン歴史地区は、中世にドナウ川沿いの交易として栄えていましたが、1155年にオーストリアを治めていたバーベンベルク家がウィーンに都を移したことで都市として発展していきます。

その後、1278年には世界遺産ウィーン歴史地区は、ハプスブルク家の支配下におかれるととなります。

世界遺産ウィーン歴史地区が都市として大きな発展を遂げたのは、14世紀のルドルフ4世の時代で、この時期にシュテファン大聖堂やウィーン大学が建てられています。

17世紀末からは旧市街の王宮ホーフブルク宮殿に加え、離宮シェーンブルン宮殿が郊外に造営され、ワルツ王ヨハン・シュトラウスが活躍するなど18世紀末から現在に至る「音楽の都ウィーン」の名声を高めることとなります。

世界遺産ウィーン歴史地区は、18世紀末にはヨーゼフ2世によりウィーン総合病院が開設され、プラーター公園が一般市民に開放されるなど都市環境が改善されていきました。

19世紀の産業革命後、ウィーンは、ヨーロッパの中でロンドン、パリ、ベルリンと並ぶ都会でした。


【世界遺産ウィーン歴史地区の見どころ】

・シュテファン大聖堂 ・・・14世紀建造のゴシック様式の大聖堂で、ハプスブルク家の歴代君主が眠っており、またモーツァルトの結婚式が行われた所としても有名です。

・ホーフブルク宮殿・・・ ハプスブルク家の宮殿として、神聖ローマ帝国時代やオーストリア帝国時代には王宮として使われた宮殿で、現在はオーストリアの大統領官邸などとして使われています。

・ウィーン大学 ・・・14世紀に創立されたドイツ語圏最古の大学です。

・ベルヴェデーレ宮殿・・・18世紀に建てられたバロック様式の宮殿で、現在はオーストリア絵画館として公開されています。「ベルヴェデーレ」はイタリア語からの借用で「美しい眺望」の意味します。

海外旅行は世界遺産のヴァッハウ渓谷の文化的景観へ行こう!

海外旅行は世界遺産のヴァッハウ渓谷の文化的景観へ行こう!

ヴァッハ渓谷ウの文化的景観
Wachau Cultural Landscape


海外旅行は世界遺産ヴァッハウ渓谷の文化的景観に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のヴァッハウ渓谷の文化的景観をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  2000年

Wachau valley (1)

世界遺産のヴァッハウ渓谷の文化的景観は、オーストリア共和国、北部のドナウ川下流域に広がる、メルクとクレムスとの間の約35kmの渓谷地帯です。

世界遺産のヴァッハウ渓谷の文化的景観は、ドナウ川の要衝であり、キリスト教布教や十字軍遠征の道として発展しました。

ヴァッハウ渓谷は、起伏に富んだ自然と、渓谷の両岸広がるブドウ畑、中世の面影を残す美しい街並み、河岸に点在する修道院や古城が織りなす美しい景観が評価されて、ヴァッハウ渓谷の文化的景観として、2000年に世界遺産登録されました。

また、ヴァッハウは、ワインの生産地としても有名で、ヴァッハウワインは良質のワインとして世界的に知られています。


【世界遺産ヴァッハウ渓谷の文化的景観の見どころ】

世界遺産のヴァッハウ渓谷の文化的景観では、観光クルーズが人気です。

・メルク修道院・・・高さ約65mの尖塔を持つ東西320mのバロック建築で、「横にのびた摩天楼」とも呼ばれ、広間の「大理石の間」はさながら宮殿のようです。マリー・アントワネットがフランスへ嫁ぐ時に宿泊したことでも有名です。

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・クリエンガー城・・・イングランド王リチャード1世が、第3回十字軍(1189年)に参加してエルサレム奪回に向かったが失敗し、帰途、神聖ローマ帝国の領内で捕らえられ、幽閉されていた場所です。

・アックシュタイン城・・・盗賊騎士の城といわれています。

海外旅行は世界遺産のグラーツ市街 - 歴史地区とエッゲンベルク城へ行こう!

グラーツ市街 - 歴史地区とエッゲンベルク城
City of Graz – Historic Centre and Schloss Eggenberg


海外旅行は世界遺産グラーツ市街 - 歴史地区とエッゲンベルク城に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のグラーツ市街 - 歴史地区とエッゲンベルク城をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  1999年
拡張年  2010年


UNESCO - City of Graz – Historic Centre and Schloss Eggenberg

世界遺産のグラーツ市街 - 歴史地区とエッゲンベルク城は、オーストリア共和国、シュタイアーマルク州の州都グラーツ市の旧市街と城館です。

グラーツ市は、オーストリアの人口第2 の都市で、この町の起源は、神聖ローマ帝国の時代に設けられた砦で、町の名前はスラブ語の「小さな砦」を意味する「グラデツ」に由来しています。

世界遺産のグラーツ市街 - 歴史地区とエッゲンベルク城は、1999年に街の中心部が「グラーツ歴史地区」として世界遺産に登録され、2010年にエッゲンベルク城が拡大登録されると、世界遺産の登録名称が「グラーツ市街 - 歴史地区とエッゲンベルク城」に変更されました。

世界遺産のグラーツ市街 - 歴史地区とエッゲンベルク城では、1586年にグラーツ大学が創設され、同大学でヨハネス・ケプラーなど様々な学者が教壇に立ったことでも知られてます。

グラーツ大学をはじめ、世界遺産のグラーツ市街 - 歴史地区とエッゲンベルク城はでは、ヨーロッパ有数の大学都市でもあり、工科大学、医科大学、芸術大学、教育大学等あわせて4万人以上の大学生が学んでいます。

【世界遺産グラーツ市街 - 歴史地区とエッゲンベルク城の見どころ】

世界遺産のグラーツ市街 - 歴史地区とエッゲンベルク城には、シンボル的存在時計塔が、旧市街の北にあるシュロスベルクの丘にあります。

シュロスベルクの丘を囲うように広がっている旧市街には、中世からのゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式などの建造物が建ち並び、シュロスベルクの丘の頂から見下ろす町並みは、赤茶色のレンガの屋根が連なる中世の町そのものです。

17世紀に建てられたエッゲンベルグ城では、4つの塔がそれぞれ四季を、12の門は12 ヶ月を、365の窓は、1年の日数を表現しておいるとされています。
現在は、州立博物館アルテ・ギャラリーとして公開され、ビザンティン美術から19世紀絵画までを取り揃えています。

City of Graz – Historic Centre and Schloss Eggenberg

海外旅行は世界遺産のゼメリング鉄道へ行こう!

ゼメリング鉄道
Semmering Railway


海外旅行は世界遺産ゼメリング鉄道に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のゼメリング鉄道をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  1998年

Semmeringbahn Weltkulturerbe

世界遺産のゼメリング鉄道は、オーストリア共和国、首都・ウィーンの南西にあるゼメリング峠を通る、世界初の山岳鉄道です。

世界遺産のゼメリング鉄道は、全長約42kmで、グロッグニッツ駅からゼメリング駅を経由してミュルツツーシュラーク駅に至ります。

世界遺産のゼメリング鉄道の建設は1848年から始められ、1854年に完成ししましたが、重機やダイナマイトもなかった時代に、わずか6年という建設期間は異例の早さだとされています。

世界遺産のゼメリング鉄道の高低差は460メートルになりますが、設計者カール・リッター・フォン・ゲーガ (Carl Ritter von Ghega) は、機関車の構造に最新の技術を用いることで、急勾配やカーブを克服したのです。

世界遺産のゼメリング鉄道は、ウィーンとオーストリア南部の都市を結び、さらにはイタリアのベネチア、スロベニアの首都リュブリャナ、クロアチアの首都ザグレブに至る鉄道路を形成していることから、今日においてもオーストリアの重要な幹線の一つになっています。

【世界遺産ゼメリング鉄道の見どころ】

世界遺産のゼメリング鉄道の軌道上には、14のトンネル、16の高架橋、100を超える石橋に11の鉄橋があります。
これらの高架橋の一部は二層構造になっていて、この路線の大きな見どころとなっています。

世界遺産ゼメリング鉄道では、その登録に際し、自然との調和が重要なポイントとなったように、山岳鉄道ならではの美しい車窓を楽しみ、途中下車をしてハイキングを楽しんだりと、のんびりと自然を満喫することが出来ます。

海外旅行は世界遺産のハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観へ行こう!


ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観
Hallstatt-Dachstein Salzkammergut Cultural Landscape


海外旅行は世界遺産ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 3,4
登録年  1997年

Hallstatt-Dachstein Salzkammergut Cultural Landscape in Austria

世界遺産のハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観は、オーストリア共和国、ザルツカンマーグート地方の、真珠に喩えられるハルシュタット湖畔に位置するハルシュタットの町を中心に、標高2,995mのダッハシュタイン山がそびえる美しい景観です。

世界遺産ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観は、この地はオーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が別荘を設け、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台にもなったことでも知られています。

ザルツカンマーグート地方は、その名前が「塩の御料地」意味するとおり、先史時代より岩塩の採掘と密接に結びついていて、ハルシュタットはケルト語で「塩の町」を意味し、古代ローマ以前にまで遡る世界最古の岩塩坑があります。

また、ハルシュタットの岩塩坑近くで古代の墓地が発見され、紀元前1200年ごろから紀元前500年ごろの青銅器や鉄器が出土され、この時代はハルシュタット文化と呼ばれています。

【世界遺産ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観の見どころ】

世界遺産ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観では、ハルシュタットの町に、ゴシック様式の聖ミカエル礼拝堂などが残されています。

世界遺産ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観のダッハシュタイン山塊では、氷河や、それによって形成された数々の洞窟群があり、「ダッハシュタインの氷の洞窟」 には、聖堂洞窟 や氷の礼拝堂など、独特の氷の景観が広がっているのが見られます。

この他、世界遺産ハルシュタット-ダッハシュタイン・ザルツカンマーグートの文化的景観では、ハルシュタット博物館や納骨堂があります。

岩塩坑の先史時代の跡が残る奥へは、トロッコに乗って見学することが出来、湖と町の景観を楽しみたい場合は、ハルシュタット湖上の遊覧船もあります。

海外旅行は世界遺産のシェーンブルン宮殿と庭園群へ行こう!

海外旅行は世界遺産のザルツブルク市街の歴史地区へ行こう!

ザルツブルク市街の歴史地区
Historic Centre of the City of Salzburg


海外旅行は世界遺産ザルツブルク市街の歴史地区に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のザルツブルク市街の歴史地区をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4,6
登録年  1996年

Historic Centre of the City of Salzburg

世界遺産のザルツブルク市街の歴史地区は、オーストリア共和国北西部のドイツとの国境に近い、ザルツブルク州の州都です。

世界遺産のザルツブルク市街の歴史地区は、ドイツ語の「ザルツ(塩の)」と「ブルク(城)」が由来となっていて、その名のとおり、紀元前から岩塩の交易によって栄えてきました。

当時、塩は「白い黄金」と呼ばれるほど貴重なものでした。

また、世界遺産のザルツブルク市街の歴史地区は、9世紀には大司教座が置かれたことから、宗教都市としても発展し、ザルツァッハ川左岸の旧市街には、教会や歴史的建造物が数多く建てられ、「北のローマ」または「北のフィレンツェ」ともいわれています。

世界遺産のザルツブルク市街の歴史地区は、モーツァルトの生誕した場所としても有名な地域です。

【世界遺産ザルツブルク市街の歴史地区の見どころ】

世界遺産ザルツブルク市街の歴史地区のツェントラル(旧市街)と呼ばれるザルツァッハ川左岸地域には、大聖堂、ホーエンザルツブルク城、聖ペーター僧院教会、レジデンツなどの歴史的建造物があり、市壁や中世都市の構造をよく残した数々の小路があります。

世界遺産ザルツブルク市街の歴史地区のザルツァッハ川の右岸地域には、歴史的に重要な建造物ミラベル宮殿があります。
ミラベル庭園に隣接して、ミラベル庭園に隣接して音楽院モーツァルテウムがあり、附属図書館にはモーツァルト関連資料が保管されています。
また、ウィーンで『魔笛』を作曲したという伝説の小屋もここに保存されています。

この他、世界遺産ザルツブルク市街の歴史地区には「サウンドオブミュージック」のロケ地も残されています。

世界遺産ザルツブルク市街の歴史地区は、中世のキリスト教の文化が色濃く残っている街であり、キリスト教にまつわる建物が多く残されています。

海外旅行は世界遺産のプランタン‐モレトゥスの家屋‐工房‐博物館複合体へ行こう!

プランタン‐モレトゥスの家屋‐工房‐博物館複合体
Plantin-Moretus House-Workshops-Museum Complex


海外旅行は世界遺産プランタン‐モレトゥスの家屋‐工房‐博物館複合体に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のプランタン‐モレトゥスの家屋‐工房‐博物館複合体をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,3,4,6
登録年  2005年

UN31 Belgium Plantin-Moretus House-Workshops-Museum Complex

世界遺産のプランタン‐モレトゥスの家屋‐工房‐博物館複合体は、ベルギー王国、フランドル地方アントワープにある印刷出版業の記念建造物です。

世界遺産のプランタン‐モレトゥスの家屋‐工房‐博物館複合体は、単独の博物館としては初めて世界遺産登録された博物館です。

世界遺産のプランタン‐モレトゥスの家屋‐工房‐博物館複合体は、16世紀アントウェルペンを主たる拠点として大規模に印刷・出版事業を手がけていたクリストフ・プランタンの工房、「オフィキナ・プランティニアナ」 (Officina Plantiniana) を起源としています。

当時のアントウェルペンは、ヴェネツィア、パリ、リヨンなどとともに出版業の一大拠点となっていて、クリストフ・プランタン多言語訳聖書などの書籍を出版するなど、ヒューマニズムの進展に寄与しました。

世界遺産のプランタン‐モレトゥスの家屋‐工房‐博物館複合体では、プランタンの死後も彼の子孫たちが工房を引継ぎ、1867年まで出版事業を継続していました。

世界遺産のプランタン‐モレトゥスの家屋‐工房‐博物館複合体は、1876年に工房および印刷設備一式がアントウェルペン市当局に売却され、翌年、工房・住居部分とも、博物館として公開され始めました。

【世界遺産プランタン‐モレトゥスの家屋‐工房‐博物館複合体の見どころ】
世界遺産プランタン‐モレトゥスの家屋‐工房‐博物館複合体には、現存するものとしては世界最古の印刷機2台や同じ時期の印刷用活字一式など、プランタンが活動していた16世紀当時の印刷技術を伝える品物のほか、印刷事業に関わる設備の数々が残されています。

また、当時の会計記録や知識人たちとの往復書簡といった貴重な古文書類「オフィキナ・プランティニアナの事業文書」 は2001年にユネスコの「世界の記憶」に登録されています。

世界遺産プランタン‐モレトゥスの家屋‐工房‐博物館複合体があるアントウェルペン(アントワープ)の町は、「フランダースの犬」でネロ少年が夢みた、巨匠ルーベンスの名高い「キリストの降架」と「キリスト昇架」を収蔵した「聖母大聖堂」があることでも知られています。

海外旅行は世界遺産のトゥルネーのノートル-ダム大聖堂へ行こう!

トゥルネーのノートル-ダム大聖堂
Notre-Dame Cathedral in Tournai


海外旅行は世界遺産トゥルネーのノートル-ダム大聖堂に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のトゥルネーのノートル-ダム大聖堂をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  2000年

Cathedral -Tournai, Belgium

世界遺産のトゥルネーのノートル-ダム大聖堂は、ベルギー王国、ワロン地方エノー州を流れるエスコー川に臨むベルギー最古の町トゥルネーにある大聖堂です。

世界遺産のトゥルネーのノートル-ダム大聖堂は、12~14世紀に建造された身廊に48mにわたって大小のアーチが3層に連なるロマネスク様式と5つの尖塔などのゴシック様式が混在したベルギーを代表する建造物のひとつです。

世界遺産のトゥルネーのノートル-ダム大聖堂は、1999年に巨大竜巻の直撃により、屋根に穴が開いたり、建物自体が歪んでしまったため2000年から修復を開始し、完成は、2030年が予定されています。

【世界遺産トゥルネーのノートル-ダム大聖堂の見どころ】
ファサード(建物の正面)に二つの塔がそびえ、側廊等も備えているロマネスク様式の身廊は、世界遺産トゥルネーのノートル-ダム大聖堂のなかで最も古い部分です。

世界遺産のトゥルネーのノートル-ダム大聖堂の彫刻は、ベルギーの教会装飾の中でも特筆すべきものであり、マンティル門やカピトル門は同じく美術愛好家の関心を惹くものといわれています。

世界遺産のトゥルネーのノートル-ダム大聖堂の内部には、大聖堂の成り立ちが描かれた全長22メートルにも及ぶタペストリーや、ベルギー七大秘宝の一つといわれる聖遺物箱など、さまざまな宝物が収められています。

海外旅行は世界遺産のスピエンヌの新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)へ行こう!

スピエンヌの新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)
Neolithic Flint Mines at Spiennes (Mons)


海外旅行は世界遺産スピエンヌの新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のスピエンヌの新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,3,4
登録年  2000年

BE - Neolithic Flint Mines at Spiennes

世界遺産のスピエンヌの新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)は、ベルギー王国、ワロン地方のエノー州の州都モンスににある石灰岩地帯です。

世界遺産のスピエンヌの新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)は、約1㎢の新石器時代の鉱山発掘地で、古代採石場ではヨーロッパで最大規模を誇る最古の遺跡です。

世界遺産のスピエンヌの新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)での採掘は、紀元前4000年から始まり、紀元前750年ごろまで続けられたとされています。

世界遺産のスピエンヌの新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)が発見されたのは、19世紀になってからで、鉄道敷設中に最初の痕跡が見つかりました。

この最初の発見は、ベルギーにおいては、もちろんが、ヨーロッパにおいても最初の発見だったとされています。

世界遺産のスピエンヌの新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)は、火打石用の鉱石を掘るためのものであったと考えられていて、内部には坑道や立抗などが残されていました。

また、世界遺産のスピエンヌの新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)の周囲では村落も発見されています。

【世界遺産スピエンヌの新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)の見どころ】
世界遺産のスピエンヌの新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)には、14世紀~16世紀に建てられた美しい教会が多く残されています。

また、オランダの画家で有名なゴッホが牧師から画家への転職を決めたとされる家が、モンスから約3kmにあるキューム村にあります。

海外旅行は世界遺産の建築家ヴィクトール・オルタによる主な邸宅群(ブリュッセル)へ行こう!

建築家ヴィクトール・オルタによる主な邸宅群(ブリュッセル)
Major Town Houses of the Architect Victor Horta (Brussels)


海外旅行は世界遺産建築家ヴィクトール・オルタによる主な邸宅群(ブリュッセル)に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産の建築家ヴィクトール・オルタによる主な邸宅群(ブリュッセル)をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,4
登録年  2000年

Horta Museum, Major Town Houses of the Architect Victor Horta

世界遺産の建築家ヴィクトール・オルタによる主な邸宅群(ブリュッセル)は、ベルギー王国、首都ブリュッセル市内に散在する4つのアールヌーボー建築による邸宅です。

建築家ヴィクトール・オルタは、19世紀末から20世紀初頭ににかけて、アール・ヌーヴォーと建築を見事に融合させた人物で、当時ブリュッセルで活動したアール・ヌーヴォー建築家たちの中心的な存在でした。

建築家ヴィクトール・オルタによる主な邸宅群(ブリュッセル)は、ヨーロッパ初のアール・ヌーヴォー建築です。

当時、ベブリュッセルの住宅では、部屋に光が入らない造りになっていましたが、ヴィクトール・オルタは、ガラスを効果的に使用することで、部屋に光が入るように工夫しました。

建築家ヴィクトール・オルタによる主な邸宅群(ブリュッセルでは、材質には鉄、ガラスなどを好んで用いられ、曲線を多く用いるデザインによって、美しい内部空間が作り出されています。

【世界遺産建築家ヴィクトール・オルタによる主な邸宅群(ブリュッセル)の見どころ】
タッセル邸・・・1893年から1894年に建築されたブリュッセル自由大学のタッセル教授の邸宅です。アール・ヌーヴォーと建築の最初の成功とされています。

ソルヴェー邸・・・1895年から1903年にかけて建築された邸宅で、ヴィクトール・オルタがその創造力を余すことなく発揮したとされています。

ヴァン・エドヴェルド邸・・・1897年から1901年に建築された邸宅す。

オルタ邸・・・1898年から1901年に建築された、アトリエと住宅を兼ねたオルタ自身の邸宅です。現在は、美術館として、一般に公開されています。

尚、世界遺産建築家ヴィクトール・オルタによる主な邸宅群(ブリュッセル)登録対象の上気4つの邸宅のうち、オルタ低以外は、私邸なので一般には、公開されていません。

海外旅行は世界遺産のブリュージュ歴史地区へ行こう!

ブリュージュ歴史地区
Historic Centre of Brugge


海外旅行は世界遺産ブリュージュ歴史地区に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のブリュージュ歴史地区をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4,6
登録年  2000年

Historic Center of Brugge

世界遺産のブリュージュ歴史地区は、ベルギー王国で13世紀に西ヨーロッパ随一の貿易港となり水路交通による商業都市として繁栄した西フランダース州の州都です。

世界遺産のブリュージュ歴史地区は、13世紀から14世紀にかけて毛織物工業で栄えましたが、15世紀後半、北海と結ぶ水路が泥で埋まり、船の運行が不可能になると交易は衰退してしていきました。

そのせいか、世界遺産のブリュージュ歴史地区には、産業革命の影響も受けず、中世以来の街並みが多く残されています。

ブリュージュは、オランダ語で「ブルッヘ(橋)」という名のとおり、世界遺産のブリュージュ歴史地区には、50以上の橋が運河にかかり、赤レンガの家屋が並ぶ美しい町並みは、「北の小ベニス」とも呼ばれています。

世界遺産のブリュージュ歴史地区の街並みの中には、122mの尖塔を抱える聖母大聖堂が含まれており、中世以来ヨーロッパで高い建築物であるとされ、また、市街の外れには風車と中世以来の城門も見られます。

また、世界遺産のブリュージュ歴史地区は、芸術においても優れていて、ヤン・ヴァン・エイクやハンス・メムリンクなどのフランドル派の絵画の巨匠も輩出しました。

尚、世界遺産のブリュージュ歴史地区登録範囲には、ベルギーの他の2つの世界遺産「フランドル地方のベギン会院」と「ベルギーとフランスの鐘楼群」に登録されている物件も含まれています。

【世界遺産ブリュージュ歴史地区の見どころ】
世界遺産ブリュージュ歴史地区で目につくのは、美術館に博物館、そして教会です。

運河が張り巡らされ、赤煉瓦の家屋の並ぶ美しい町並みのリュージュは、「屋根のない美術館」とも呼ばれています。

ベルギーはチョコレートで有名ですが、世界遺産ブリュージュ歴史地区でも、あちこちで、チョコレート屋さんを見かけます。

海外旅行は世界遺産のブリュッセルのグラン-プラスへ行こう!

ブリュッセルのグラン-プラス
La Grand-Place, Brussels


海外旅行世界遺産ブリュッセルのグラン-プラスに行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産ブリュッセルのグラン-プラスをご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  1998年

La Grand Place_Brussels_Mar11

世界遺産ブリュッセルのグラン-プラスは、ベルギー王国の首都ブリュッセルの中心地にある大広場です。

世界遺産ブリュッセルのグラン-プラスは、ランスの詩人ジャン・コクトーに「豊穣なる劇場」と言わせ、文豪ヴィク トル・ユゴーが「世界で最も豪華な広場」と賞賛された程、世界で最も美しい広場のひとつとされています。

世界遺産ブリュッセルのグラン-プラスは、1695年にフランス国王ルイ14世によって砲撃されて大半が破壊されましたが、唯一、1402~1455年に、ゴシック様式で建造され市庁舎だけが焼けずに残りました。

その後、世界遺産のブリュッセルのグラン-プラスは、すぐに石造りで再建され、世界で最も美しい公共広場のひつとに甦りました。

【世界遺産ブリュッセルのグラン-プラスの見どころ】
世界遺産のブリュッセルのグラン-プラスの市庁舎は、頂上には、ブリュッセルの守護神である聖ミカエル像がある高さ96mの尖塔が見られます。

16世紀にパン市場親しまれたいたため「パンの家」と呼ばれていた「王の家」は、現在は市立博物館となっています。

この他、世界遺産のブリュッセルのグラン-プラスには、7世紀に、ビール醸造業者、パン職人、肉屋、油商、小間物屋、大工・家具職人、塗装工、船頭など商人や職人のギルド(同業者組合)のハウスとして建てられ、現在は博物館等になっている「ブラバン公爵の家」などの建築物が建ち並んでいます。

また、世界遺産のブリュッセルのグラン-プラスの広場では、花市や小鳥市のほか、野外コンサートも開催されます。
夏の夜などは、建築物がライトアップされ、幻想的な光と音の競演が見られます。

さらに、各年の偶数年に開催される、フラワーカーペットによる夏の祭典は見事です。

海外旅行は世界遺産の中央運河にかかる4機の水力式リフトとその周辺のラ・ルヴィエール及びル・ルー(エノー)へ行こう!

中央運河にかかる4機の水力式リフトとその周辺のラ・ルヴィエール及びル・ルー(エノー)
The Four Lifts on the Canal du Centre and their Environs, La Louviere and Le Roeulx (Hainault)


海外旅行は世界遺産中央運河にかかる4機の水力式リフトとその周辺のラ・ルヴィエール及びル・ルー(エノー)に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産の中央運河にかかる4機の水力式リフトとその周辺のラ・ルヴィエール及びル・ルー(エノー)をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 3,4
登録年  1998年

Hydraulic Elevator

世界遺産の中央運河にかかる4機の水力式リフトとその周辺のラ・ルヴィエール及びル・ルー(エノー)は、ベルギー王国、エノー州の州都モンスの東十数kmのところにある水力式の船舶昇降機(ボートリフト)です。

世界遺産の中央運河にかかる4機の水力式リフトとその周辺のラ・ルヴィエール及びル・ルー(エノー)は、ムーズ川とエスコー川のドックを連絡して、ドイツからフランスへの通行を実現するために、1888~1917年に建設されました。

世界遺産の中央運河にかかる4機の水力式リフトとその周辺のラ・ルヴィエール及びル・ルー(エノー)の完成によって、 7kmの水位に、67mもあった高低差が解消したのです。

世界遺産の中央運河にかかる4機の水力式リフトとその周辺のラ・ルヴィエール及びル・ルー(エノー)は、19世紀のヨーロッパの運河建設・水工学発達のひとつの頂点を示す傑出した建造物であり、現在も稼働し続けています。

世界遺産の中央運河にかかる4機の水力式リフトとその周辺のラ・ルヴィエール及びル・ルー(エノー)には、年間4万人もの観光客が訪れています。

【世界遺産中央運河にかかる4機の水力式リフトとその周辺のラ・ルヴィエール及びル・ルー(エノー)の見どころ】
世界遺産中央運河にかかる4機の水力式リフトとその周辺のラ・ルヴィエール及びル・ルー(エノー)では、 閘門施設が稼動可能な状態で、ボートに乗船して見学する事が出来ます。

尚、ボート見学には予約が必要となります。

海外旅行は世界遺産のフランドル地方のベギン会修道院へ行こう!

フランドル地方のベギン会修道院
Flemish Béguinages


海外旅行は世界遺産フランドル地方のベギン会修道院に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のフランドル地方のベギン会修道院をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,3,4
登録年  1998年

Béguinage of Bruges

世界遺産のフランドル地方のベギン会修道院は、ベルギー王国西部に位置する修道院群です。

世界遺産のフランドル地方のベギン会修道院は、12世紀にペギン会によってはじまった女子のみの修道院です。

当時の中世ヨーロッパでは、女性は結婚するか修道女となるか、いずれかの方法でしか生きていく方法はありませんでした。

そこで、世界遺産のフランドル地方のベギン会修道院では、ペギン会の女性たちが、完全な修道女としてではなく、俗世と関わりを持ちながら、自立した共同体として、質素で敬虔な生活を送るという新しいライフスタイルを築き上げました。

しかし、20世紀に入ると、女性の社会進出に伴って、ペギン会は徐々に衰退していくこととなります。

現在、世界遺産のフランドル地方のベギン会修道院は、リールやコルトレイク、ディースト、ブリュージュ、ゲント、ルーベン、メッヘレンなどに、13の修道院の建物が残されています。

【世界遺産フランドル地方のベギン会修道院の見どころ】
現在ある13の世界遺産のフランドル地方のベギン会修道院のうち、とりわけ美しいとされるのが、1245年にフランドル伯爵夫人により創設された、ブルージュのベギン会修道院です。

また、世界遺産フランドル地方のベギン会修道院は、オードリーヘップバーンの「尼僧物語」のロケ地に使われたこともあることで知られています。

海外旅行は世界遺産のル・アーヴル、オーギュスト・ペレによって再建された都市へ行こう!

ル・アーヴル、オーギュスト・ペレによって再建された都市
Le Havre, the City Rebuilt by Auguste Perret


海外旅行は世界遺産ル・アーヴル、オーギュスト・ペレによって再建された都市に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のル・アーヴル、オーギュスト・ペレによって再建された都市をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  2005年

LE HAVRE - Blocks of Flats

世界遺産のル・アーヴル、オーギュスト・ペレによって再建された都市は、フランス共和国北西部、セーヌ川河口の大西洋に臨むノルマンディ地方の港湾都市です。

世界遺産のル・アーヴル、オーギュスト・ペレによって再建された都市は、第二次世界大戦中の1944年のノルマンディ上陸作戦によって、攻撃の対象にさらされ、死者5,000人、家屋の破壊12,500戸、家を失った者80,000人の甚大な被害を受けました。

これによって、世界遺産のル・アーヴル、オーギュスト・ペレによって再建された都市では、その大半が破壊されてしまいました。

その被害は、ヨーロッパの中でも最も甚大な被害を受けた都市のひとつとされてた程です。

1945年に、都市再建省が都市の再建を建築家のオーギュスト・ペレに委託しました。

オーギュスト・ペレは、再建にあたって、コンクリート資材を用いたプレハブ工法などの、新しい建築方法を採用しました。

そして、世界遺産のル・アーヴル、オーギュスト・ペレによって再建された都市は、20年をかけて、見事再建を果たし、生まれ変わったのです。

世界遺産のル・アーヴル、オーギュスト・ペレによって再建された都市は、20世紀の近代都市のパイオニアと言われています。

ペレの都市再建計画は前例にないものといわれ、当時は戦後の古い町並みを復旧した地域が多かった中、ペレは全く新し技法を用い、別のものに生まれ変わらせにも関わらず、損壊を逃れた建築物とうまく調和させたものとしました。

【世界遺産ル・アーヴル、オーギュスト・ペレによって再建された都市の見どころ】
オーギュスト・ペレの作品
・サン・ジョゼフ教会(église Saint-Joseph)・・・ペレが最後に手がけた建築です。 ・サン・ロシュ・スクウェア (Square St.-Roch)・・・再建地区と、残存した地区をつないでいる素晴らしい庭園です。
・サン・ミシェル教会 ・市庁舎
・カジノ
・ラウル=デュフィ中学校 (Collège Raoul-Dufy)
・プランタン百貨店 (Grand magasin du Printemps)
・アンドレ・マルロー美術館 (Musée des Beaux-Arts André Malraux)
・図書館

この他、まだまだありますが、世界遺産ル・アーヴル、オーギュスト・ペレによって再建された都市は、現代の景観が登録された珍しい例であるといえます。

海外旅行は世界遺産の中世市場都市プロヴァンへ行こう!

中世市場都市プロヴァン
Provins, Town of Medieval Fairs


海外旅行は世界遺産中世市場都市プロヴァンに行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産の中世市場都市プロヴァンをご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  2001年

Provins

世界遺産の中世市場都市プロヴァンは、フランス共和国の首都・パリから南へ90kmのシャンパーニュ地方に位置する、12世紀に造られた城壁で囲まれた町です。

世界遺産の中世市場都市プロヴァンは、紀元前1世紀頃から後4世紀頃にローマ軍によって建設された町ですが、この町が栄るようになったのは、11世紀末になってからです。

世界遺産の中世市場都市プロヴァンでは、11世紀末にシャンパーニュ伯の領地となり、定期的に「シャンパーニュの大市」が開かれるようになり、最盛期の13世紀には、外国から交易のために人々が集まり多種多様なものが取引されていました。

また、世界遺産の中世市場都市プロヴァンは、薔薇の花びらで作るジャムや、薔薇をはちみつやシロップに漬けたもの、あるいは薔薇のキャンディーなど、薔薇を使った製菓業でも栄え、今なお製靴業は盛んに行われています。

世界遺産中世市場都市プロヴァンは、フランス国内では「芸術と歴史の街」のひとつに選ばれており、中世の商館や広場、建築物には往時の面影が残っています。

【世界遺産中世市場都市プロヴァンの見どころ】
・セザールの塔 (Tour César)・・・12世紀に建造され、町のシンボルとされています。

・地下道・・・世界遺産中世市場都市プロヴァンはの町に10kmにわたって張り巡らせれている地下道です。

・十分の一税用の倉庫 (La grange aux dîmes)・・・かつて、「シャンパーニュの大市」も際に、在庫の収納所として使われた倉庫で、現在では博物館になっています。

・ロマネスクの家・・・10世紀ないし11世紀に建造されたプロヴァンで最も古い住居で、現在は展示室があります。

海外旅行は世界遺産のシュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間のロワール渓谷へ行こう!

シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間のロワール渓谷
The Loire Valley between Sully-sur-Loire and Chalonnes


海外旅行は世界遺産シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間のロワール渓谷に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のシュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間のロワール渓谷をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,4
登録年  2000年

France - The Loire Valley between Sully-sur-Loire and Chalonnes

世界遺産のシュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間のロワール渓谷は、フランス共和国中央部、首都パリの南約120kmのサントル地方とペイ・ド・ラ・ロワール地方にある渓谷です。

世界遺産のシュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間のロワール渓谷流域には、ブロア、シノン、オルレアン、ソミュール、トゥールなどの歴史都市が点在し、フランス中央部に流れるロワール川の流域には、王侯貴族によって建てられた数多くの城や庭園があることから「フランスの庭」と呼ばれていました。

15世紀から16世紀にかけてイタリアから伝来したルネサンス芸術繁栄の中心地域であった世界遺産のシュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間のロワール渓谷流域では、ルネサンス期の建築様式がふんだんに取りいれられた多彩な美しい城館を見ることが出来ます。

世界遺産のシュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間のロワール渓谷で見られる城は、城砦ではなく、いわゆる、居城(シャトー)として建設されることが多かったようです。

また、世界遺産のシュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間のロワール渓谷は、かつて宮廷が多くおかれ、世界で最も美しいと言語とされるフランス語が発達したのもこの地であると考えられていることから、「フランス語の揺籃地」とも呼ばれています。

尚、世界遺産のシュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間のロワール渓谷の登録は2000年ですが、1891年に単独登録されていた「シャンボールの城と領地(Chateau and Estate of Chambord)」は、この物件の一部と見なされ統合されることとなりました。

【世界遺産シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間のロワール渓谷の見どころ】
シャンボール城・・・フランソワ1世がレオナルド・ダ・ヴィンチの設計案を採用して造った城で、世界遺産シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間のロワール渓谷最大です。

・アンボワーズ城・・・1492年に、シャルル8世の命令で既存の要塞を改築した城で、フランスで初めて、イタリア式のレイアウトが採用され、「ルネサンス期の傑作」とも言われています。

ブロワ城・・・多様な建築様式が入り混じり、まるで宮廷博物館のような城で、ギーズ公アンリが殺害された1588年の三部会の舞台でもありました。

シュノンソー城・・・アンリ2世が愛妾のために尽造らせたといわれている城です。

海外旅行は世界遺産のベルギーとフランスの鐘楼群へ行こう!

ベルギーとフランスの鐘楼群
Belfries of Belgium and France


海外旅行は世界遺産ベルギーとフランスの鐘楼群に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のベルギーとフランスの鐘楼群をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  1999年
拡張年  2005年

The leaning tower of Lille... ;)

世界遺産のベルギーとフランスの鐘楼群は、ベルギー王国とフランス共和国の両国にまたがって分布する56の鐘楼です。

世界遺産のベルギーとフランスの鐘楼群は、1999年に「フランドル地方とワロン地方の鐘楼群(Belfries of Flanders and Wallonia)」として、最初、ベルギーの32の鐘楼が登録されましたが、2005年にフランス北部の23の鐘楼群とベルギーのガンブルーの鐘楼が追加登録されました。

世界遺産のベルギーとフランスの鐘楼群は、11世紀から17世紀にかけて建てられ、市民の自由の象徴、または繁栄の証とされています。

中世のベルギーやフランス北部諸都市は、ヨーロッパの交易の中継地として栄え、13世紀から15世紀には多くの都市が自治権を持つようになりました。

この時期の世界遺産のベルギーとフランスの鐘楼群は、まさに「自由と繁栄の証」を象徴する建造物だったいえます。

16世紀以降の世界遺産のベルギーとフランスの鐘楼群は、「自由と繁栄の証」の象徴からモニュメント的な意味合いを持つ建造物へと趣が変わっていきます。

【世界遺産ベルギーとフランスの鐘楼群の見どころ】

現在、世界遺産ベルギーとフランスの鐘楼群の56あり、それぞれが異なった音色のカリヨンを持っています。

尚、カリヨンの語源ラテン語で、「四つ一組」を意味し、市民に時を告げるため4個の鐘を塔の上から鳴らしたことが始まりといわれています。

カリヨンの町として知られるメッヘレンの鐘楼には、最大規模の78個もの鐘を組み合わせたカリヨンがあります。

海外旅行は世界遺産のサン・テミリオンの管轄区域へ行こう!

サン・テミリオンの管轄区域
Jurisdiction of Saint-Emilion


海外旅行は世界遺産サン・テミリオンの管轄区域に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のサン・テミリオンの管轄区域をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 3,4
登録年  1999年

Saint-Emilion at 1 pm

世界遺産のサン・テミリオンの管轄区域は、フランス共和国、ボルドー地方の東部、ドルドーニュ川右岸のなだらかな丘陵地帯に広がる町で、つの自治体(コミューン)からなっています。

世界遺産のサン・テミリオンの管轄区域は、ワインの生産地として知られています。
ワインの製造が始まったのは、古代ローマ帝国の属州だった頃といわれていますが、12世紀半ば、サン・テミリオンを含むアキテーヌ公国がイングランド王領となり、この地方の中心都市であったボルドーにワインの輸出特権が与えられたから本格的に行われるようになりました。

サン・テミリオンは、ボルドーワインの公的格付けがなされているため、世界遺産のサン・テミリオンの管轄区域では、ブドウ畑も登録の対象となっています。

尚、ワイン産地が世界遺産に登録されたのは、世界遺産のサン・テミリオンの管轄区域がはじめてです。

【世界遺産サン・テミリオンの管轄区域の見どころ】

世界遺産のサン・テミリオンの管轄区域は、シャトー・オゾーヌ、それにシャトー・シュヴァル・ブラン、シャトー・ボーセジュール・ベコなど特一級といわれる13のシャトーがあることでも知られています。

海外旅行は世界遺産のリヨンの歴史地区へ行こう!

リヨンの歴史地区
Historic Site of Lyons


海外旅行は世界遺産リヨンの歴史地区に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のフリヨンの歴史地区をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  1998年

FR Historic Site of Lyons

世界遺産のリヨンの歴史地区は、フランス共和国中東部にあるフランス第二の都市で、絹の街として知られるリヨンにある石畳の街並みの残る旧市街からクロワ・ルースにかけての地区です。

世界遺産のリヨンの歴史地区は、ソーヌ川とローヌ川の2つの川を中心にして商業都市として栄え、起源は紀元前1世紀半ばのローマ時代で、2000年の長い歴史があります。

世界遺産のリヨンの歴史地区は、15世紀後半になると絹織物の技術が導入され、19世紀前半にはヨーロッパ最大の絹織物産業都市となりました。

また、15世紀にカラ-の挿絵を印刷する技術が発明されると、世界遺産のリヨンの歴史地区は、印刷業でも栄るようになりました。

【世界遺産リヨンの歴史地区の見どころ】

ベルクール広場
ソーヌ川とローヌ川のれた市の中心部にある、ヨーロッパでも最も大きな広場のひとつです。
中央にはルイ14世像が立ち、広場の南西隅、道路を挟んで西側には星の王子さまと作者のサン=テグジュペリの像が立っています。
広場では、様々イベントが不定期ですが、開催されています。

サン・ジャン大聖堂
1180年から1480年にかけて建てられた司教座聖堂で、フルヴィエールの丘のふもとにあります。
1600年にフランス王アンリ4世がマリー・ド・メディシスと結婚式を挙げたとされています。

フルヴィエールの丘
世界遺産リヨンの歴史地区のどこからでも見える丘で、頂上には1872年に着工されたフルヴィエール聖堂、丘の西側の中腹には紀元前15年に建てられた1万人収容のローマ劇場があります。

海外旅行は世界遺産のフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路へ行こう!

フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路
Routes of Santiago de Compostela in France


海外旅行は世界遺産フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4,6
登録年  1998年

France: Pilgrim Road

世界遺産のフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、フランス共和国の4都市を基点とし、それが2つになってピレネー山脈を越えてスペインのプエンテ・ラ・レイナで合流し、サンティアゴ・デ・コンポステーラへと続く巡礼路です。

世界遺産のフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路には、巡礼路の途上にある主要な歴史的建造物群も含まれ、建造物群の一部には他の世界遺産の物件と重複するものもあります。

サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼はエルサレム、ローマと並び、「キリスト教の世界三大巡礼地」の一つに挙げられています。
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼が始まったのは、9世紀に十二使徒の一人、聖ヤコブの遺骸が発見され、その地に大聖堂が建てられてからです。

フランスとスペインは、国境を接していたため、他のヨーロッパの国々からの巡礼者たちが通る行程にあり、中でも世界遺産のフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にはキリスト教に関係する聖堂が多くあったことから巡礼者が多く集まるようになりました。

世界遺産のフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの4つの巡礼路は以下の通りです。

・トゥールの道
・リモージュの道(ヴェズレーの道、サン・レオナールの道)
・ル・ピュイの道
・トゥールーズの道(サン・ジルの道)

世界遺産のフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの4つの巡礼路のうち、トゥールの道、リモージュの道、ル・ピュイの道の3つは、オスタバ・アスムで合流し、サン・ジャン・ピエ・ド・ポルを通ってピレネー山脈のイバニェタ峠に向かいます。
トゥルーズの道は、オロロン=サント=マリー(オロロン)からソンポルト峠に向かいます。

【世界遺産フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の見どころ】

聖地へは、今でも世界遺産フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を利用して、今も年間かなりの人がピレネー山脈を越えるといわれています。

世界遺産フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を全て歩くと、早い人でも一ヶ月はかかると言われています。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの聖地に到着すると、「コンポステーラ」と呼ばれる証明書が無料で貰えますが、これには、徒歩で100km以上、自転車で200km以上という条件がつけられています。

また、巡礼手帳をもっていれば、一夜の宿を与える救護施設に格安で泊まることが出来ます。
巡礼手帳は救護施設や観光案内所、教区教会で3ユーロ程度入手することが出来ます。

海外旅行は世界遺産のピレネー山脈の モン・ペルデュへ行こう!

ピレネー山脈の モン・ペルデュヌ
Pyrénées - Mont Perdu


海外旅行は世界遺産ピレネー山脈の モン・ペルデュヌに行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のピレネー山脈の モン・ペルデュをご紹介します。

登録区分 複合遺産
登録基準 3,4,5,7,8
登録年  1997年
拡張年  1999年

Mont-Perdu/marcadau.com

世界遺産のピレネー山脈の モン・ペルデュは、フランス共和国とスペインの国境に広がる大山脈群ピレネー山脈の中央にある山です。

世界遺産のピレネー山脈の モン・ペルデュは、標高3,352mで、ピレネー山脈の中では三番目に高い山で、石灰質の山としてはヨーロッパで一番高い山です。

ピレネー山脈の モン・ペルデュは、スペインとフランスの2つの国で世界遺産登録され、フランス語名称で「モン・ペルデュ」、スペイン語名称で「モンテ・ペルディード」で、どちらも「孤立した山」を意味しています。

世界遺産のピレネー山脈の モン・ペルデュは、モン・ペルデュ山だけでなく、周辺にある数々の渓谷や滝を含めて登録されています。

◆世界遺産のピレネー山脈の モン・ペルデュ~スペイン側の登録範囲
オルデサ・イ・モンテ・ペルディド国立公園とそれに付随するビエルサ、ファンロ、プエルトラス、テジャ=シン、トルラなどの地域です。

オルデサ・イ・モンテ・ペルディド国立公園は、アラゴン州にあり、オルデーサ渓谷、アニスクロ渓谷、ピネタ渓谷など、ヨーロッパで最も奥深い地を含んでいます。

◆世界遺産のピレネー山脈の モン・ペルデュ~フランス側の登録範囲
ピレネー国立公園の一部であるガヴァルニー圏谷、エスタルベ圏谷、トルムーズ圏谷、バルード岩壁などです。

そして、国立公園の周辺のコミューンであるアラニュエ、ガヴァルニー、ジェードルも世界遺産のピレネー山脈の モン・ペルデュの登録範囲とされています。

【世界遺産ピレネー山脈の モン・ペルデュの見どころ】

スペイン側の中腹の景観は、段々畑や牧畜生活など何世紀にも渡って、厳しい環境に適応して暮らしてきた農牧民の生活文化を見ることが出来ます。

フランス側の各圏谷では、長い間氷河の浸食受けて出来た岩壁は見ることが出来き、自然の脅威を感じぜずにはいられません。
また、中腹には、整備された牧場や高地の納屋などは、今なお息づくピレネーの農牧畜文化が残されています。

海外旅行は世界遺産の歴史的城塞都市カルカソンヌへ行こう!

歴史的城塞都市カルカソンヌ
Historic Fortified City of Carcassonne


海外旅行は世界遺産歴史的城塞都市カルカソンヌに行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産の歴史的城塞都市カルカソンヌをご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  1997年

FR Historic Fortified City of Carcassonne

世界遺産の歴史的城塞都市カルカソンヌは、フランス共和国南部ラングドック・ルーション地方オード県の県都で、ローマ時代に軍事基地として建設された町です。

世界遺産の歴史的城塞都市カルカソンヌは、紀元前3世紀ケルト人が建設した砦のある町で、地中海と大西洋を結ぶ重要な位置にあるため、常に激しい攻撃下にさらされていました。

世界遺産の歴史的城塞都市カルカソンヌは、1247年には、ルイ9世は隣国のアラゴン王国に対する防衛のため、ローマ時代の城壁の外側にさらに城壁の建設が始めました。

ルイ9世は、この城壁の完成を見届けることは出来ませんでしたが、1285年に息子のフィリップ3世によってようやく完成されました。

その後、世界遺産の歴史的城塞都市カルカソンヌは、17世紀半ばに、ピレネー条約によってスペインとの国境が定まると、2重の城壁は不要なものとなり、荒廃への道へ進んでいくことになります。

そして、約2世紀の得を経た19世紀に、歴史家のジャン・ピエール・クロ=メイルヴィエイユによって、世界遺産の歴史的城塞都市カルカソンヌの破壊は食い止められました。

世界遺産の歴史的城塞都市カルカソンヌは、1853年に建築家、ヴィオレ・デュクらによる復旧工事によって、見事に蘇ることとなりました。

【世界遺産歴史的城塞都市カルカソンヌの見どころ】

「ラ・シテ」と呼ばれる城壁内には石畳が敷かれ、12世紀に建てられたロマネスク様式とゴシック様式が混在するサン・ナゼール聖堂やシャトー・コンタル(伯爵の城)などが残されています。

海外旅行は世界遺産のミディ運河へ行こう!

ミディ運河
Canal du Midi


海外旅行は世界遺産ミディ運河に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のミディ運河をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,4,6
登録年  1996年

canal du midi 01

世界遺産のミディ運河は、フランス共和国南部ミディ・ピレネーとラングドック・ルーションの2地方、オート・ガロンヌ、オード、エローの3県にまたがり、トゥールーズから地中海に面したトー湖まで、全長240kmにも及ぶ運河です。

世界遺産のミディ運河は、支流まで含めると360kmまで及び、登録範囲は他に4本の支流と運河沿いの景観も含んでいます。

世界遺産のミディ運河は、徴税使ピエール・ポール・リケの発案で、ルイ14世により承認され、国家プロジェクトとして1667年に建設が開始され、1694年に完成し、19世紀にミディ鉄道が開通するまで、大西洋と地中海との間を船舶で結ぶ交通路としての役目を担っていました。

世界遺産のミディ運河は、当時の土木技術の最先端を駆使したもので、陵地帯に築かれた巨大なダム、川の上を通る運河橋、手掘りのトンネル、中でも水門の開け閉めによって高低差を乗り越える閘門は80以上あり、見ごたえがあります。

世界遺産のミディ運河の開通によって、運河沿いの産業が栄え、とりわけボルドー、サンテミリオン、ラングドック地方のワインは飛躍的に生産量を伸ばしました。

【世界遺産ミディ運河の見どころ】

現在、世界遺産ミディ運河では、航路としての役割は終了していますが、運河クルーズなどが人気の観光スポットとなっています。

運河の両側につけられた道には、日差しを遮るために45,000本ものプラタナスや糸杉が植えられており、心地よい水辺の散歩道となっています。

また、閘門の中でもフォンセランヌの7段ロックと呼ばれるものは、この運河で最大の見どころです。

海外旅行はアヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教建造物群、アヴィニョン橋へ行こう!

アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教建造物群、アヴィニョン橋
Historic Centre of Avignon: Papal Palace, Episcopal Ensemble and Avignon Bridge


海外旅行は世界遺産アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教建造物群、アヴィニョン橋に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のアヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教建造物群、アヴィニョン橋をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,4
登録年  1995年

France: Avignon

世界遺産のアヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教建造物群、アヴィニョン橋は、フランス共和国南部プロヴァンス・アルプ・コートダジュール地方ヴォークリューズ県にある建造物群です。

世界遺産のアヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教建造物群、アヴィニョン橋の登録対象は、教皇宮殿、プチ・パレ、ロシェ・デ・ドン、ノートルダム・デ・ドン大聖堂、城壁などです。

世界遺産のアヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教建造物群、アヴィニョン橋の教皇宮殿は、ローマ教皇庁がアヴィニョンに移された、「アヴィニョン捕囚」と呼ばれる14世紀に建てられました。

世界遺産のアヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教建造物群、アヴィニョン橋は、この時期に建てられた城壁によって囲まれています。

【世界遺産アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教建造物群、アヴィニョン橋の見どころ】
教皇宮殿は、高さ50mの塔を4基持ち、現存するヨーロッパの中世ゴシック様式建築物のなかでは最大級を誇る重要なものと言われています。

プチ・パレは14世紀に建てられた司教館で、現在は美術館となっており、ボッティチェリ作『聖母子』、クリヴェッリ作『四聖人』などが所蔵されています。

世界遺産アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教建造物群、アヴィニョン橋のノートルダム・デ・ドン大聖堂は、ロシェ・デ・ドンと教皇宮殿の間に位置する大聖堂で、12世紀半ばに建造されたロマネスク様式の教会堂です。
内部は17世紀にバロック様式に改築されています。

サン・ベゼネ橋は、童謡「アヴィニョンの橋」の名で知られる有名な橋です。

海外旅行は世界遺産のブールジュ大聖堂へ行こう!

ブールジュ大聖堂
Bourges Cathedral


海外旅行は世界遺産ランスのブールジュ大聖堂に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のブールジュ大聖堂をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,4
登録年  1992年

Bourges Cathedral from the Bishop's Garden

世界遺産のブールジュ大聖堂は、フランス共和国中部サントル地方シェール県にある大聖堂です。

世界遺産のブールジュ大聖堂は、5つの入口と2本の塔を持つ、奥行約124m、幅は約41mとフランスでも最大級であり、ゴシック美術の傑作のひとつであるとも言われています。

世界遺産のブールジュ大聖堂の壮大さは、フランスの代表的ゴシック大聖堂、ランスの大聖堂やパリのノートルダム大聖堂に引けを取らないほどです。

通称サン・テティエンヌ大聖堂と呼ばれている世界遺産のブールジュ大聖堂は、主に12世紀末から13世紀末にかけて建造されたとされていますが、その前身は3世紀にまで遡ります。

世界遺産のブールジュ大聖堂は、11世紀にロマネスク様式で建て替えられましたが、12世紀に今度はゴシック様式で改修されました。

その後も世界遺産のブールジュ大聖堂は、いくどか、修改築を繰り返しますが、その都度様々な建築様式が取り入れらています。

一見、アンバランスと見えるブールジュ大聖堂は、建築史上、他のヨーロッパの大聖堂に影響を及ぼしたと言われています。

【世界遺産ブールジュ大聖堂の見どころ】
世界遺産ブールジュ大聖堂の5つの入口のうち、中央の彫刻、「最後の審判」はゴシックの傑作と言われています。
5つの入口のアーチに施されている装飾や構造は全て違っており、また、入口の扉の作りも全て異なっています。

Bourges Cathedral - West Portals Night Lighting

ブールジュ大聖堂の内装の見どころのひとつに、ステンドグラスがあります。
古いものは、13世紀に造られ、16世紀には地元の芸術家ジャン・ルキュイエによって追加されたものもあります。

Bourges Cathedral - The Martyrdom of Saints Laurence & Stephen - The Instruments of the Passion

海外旅行は世界遺産のランスのノートルダム大聖堂、サン-レミ旧大修道院、トー宮殿へ行こう!

ランスのノートルダム大聖堂、サン-レミ旧大修道院、トー宮殿
Cathedral of Notre-Dame, Former Abbey of Saint-Remi and Palace of Tau, Reims


海外旅行は世界遺産ランスのノートルダム大聖堂、サン-レミ旧大修道院、トー宮殿に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のランスのノートルダム大聖堂、サン-レミ旧大修道院、トー宮殿をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,6
登録年  1991年

Cathedral of Notre-Dame, Former Abbey of Saint-Rémi and Palace of Tau, Reims

世界遺産のランスのノートルダム大聖堂、サン-レミ旧大修道院、トー宮殿は、フランス共和国北東部、シャンパン醸造の一大中心地、シャンパーニュ・アルデンヌ地方にある3つの建築物です。

世界遺産のランスのノートルダム大聖堂、サン-レミ旧大修道院、トー宮殿のうち、ランスのノートルダム大聖堂は、1211年に建築を開始し、約100年の歳月をかけて完成されました。

ノートルダム大聖堂は、フランク王国の国王クロヴィスが洗礼を受けたことから、歴代フランス国王の戴冠式が行われてきました。

世界遺産のランスのノートルダム大聖堂は、シャルトル大聖堂やアミアン大聖堂と並び、フランス国内におけるゴシック様式の傑作の一つといわれています。

世界遺産のランスのノートルダム大聖堂、サン-レミ旧大修道院、トー宮殿のサン-レミ旧大修道院は、1000年頃に建造されたバシリカ式教会堂です。

サン-レミ旧大修道院には、クロヴィスの洗礼を行った聖レミに由来し、その聖遺物が安置されています。

世界遺産のランスのノートルダム大聖堂、サン-レミ旧大修道院、トー宮殿のトー宮殿は、1498年から1509年にノートルダム大聖堂に隣接して建造された大司教の館です。

トー宮殿では、平面図がT字型をしていたことからきていて、ギリシャ文字のτ(タウ)から付けられたものです。

【世界遺産ランスのノートルダム大聖堂、サン-レミ旧大修道院、トー宮殿の見どころ】
ランスのノートルダム大聖堂は、西正門入口にある聖母マリアの物語を描いた彫像、「微笑みの天使」が有名です。
大聖堂の内部のステンドグラスも有名で、中でも画家のシャガールのステンドグラスはぜひ見ておきたいところです。

サン-レミ旧大修道院は、11~12世紀に創建されたロマネスク様式の本堂が残っているが、現在は、ローマ時代のコレクションを所蔵する博物館になっています。

トー宮殿は、現在、タペストリーなどの大聖堂に関わる品々、あるいは戴冠式に関わりのあった品々などを展示する国立博物館となっています。

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