各国の世界遺産を紹介しています。海外旅行が初めての方も、海外旅行の達人も海外に行くなら世界遺産を旅してみませんか?海外旅行で世界遺産を訪れる際の参考にして頂ければ幸いです。

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海外旅行は世界遺産のデル・モンテ城へ行こう!

デル・モンテ城
Castel del Monte


海外旅行は世界遺産デル・モンテ城に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のデル・モンテ城をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,3
登録年  1996年

Puglia Castel del Monte

世界遺産のデル・モンテ城は、イタリア共和国南部のプッリャ州アンドリアの郊外にある中世の城です。

世界遺産のデル・モンテ城は、13世紀に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(フェデリーコ2世)によって、イスラム勢力に備えて南イタリアに築かれた200を超える城砦うちの一つです。

フリードリヒ2世(フェデリーコ2世)は、学問と芸術を好み、時代に先駆けた近代的君主としての振る舞いから、スイスの歴史家ヤーコプ・ブルクハルトはフリードリヒ2世を「王座上の最初の近代人」と評しています。
また、中世で最も進歩的な君主と評価され、ダンテは彼を「世界の驚異」と称賛しています。

【世界遺産世界遺産のデル・モンテ城の見どころ】

世界遺産のデル・モンテ城は、独特な形をしています。

フリードリヒ2世の数学へ造詣を表す黄金比を用いた八角形を象徴的に取り入れており、全体が八角形の平面で構成されています。
デル・モンテ城の八角形の中庭を八角形の周壁が囲み、さらに8つのコーナーにはそれぞれ八角形の小塔がそびえています。

世界遺産世界遺産のデル・モンテ城は、その形状から「丘の上の王冠」と呼ばれています。
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海外旅行は世界遺産のフェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯へ行こう!

フェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯
Ferrara, City of the Renaissance, and its Po Delta


海外旅行は世界遺産フェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のフェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,3,4,5,6
登録年  1995年
拡張年  1999年

Castello degli Estense

世界遺産のフェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯は、イタリア共和国北部エミリア・ロマーニャ州フェッラーラ県の県都です。

世界遺産のフェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯は、ポー川の支流ヴォラーノ川流域に位置し、14世紀、エステ家によって整備されました。

世界遺産のフェッラーラの起源は定かではなく、はじめてその名が登場するのは7世紀にラヴェンナ総督府の一部となってからでです。

8世紀には、世界遺産のフェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯はカール大帝に征服され、教皇国家の一部となっています。

世界遺産のフェッラーラは、ルネサンス期に文化の中心地の一つとして栄え、15~16世紀のは画家のティツィアーノなど多くの芸術家を輩出しています。

【世界遺産世界遺産のフェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯の見どころ】

世界遺産世界遺産のフェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯には、現在も15~16世紀に造られた市壁に囲まれています。

エステ城・・・市中心部にあり、4つの塔を持つ城です。

スキファノイア宮殿・・・アルベルト・デステが建てた14世紀の宮殿で、現在は美術館となっています。

サン・ジョルジョ大聖堂(フェラーラ大聖堂)・・・12世紀に建てられたロマネスク様式の聖堂です。

ムニチパーレ宮殿・・・13世紀にエステ家によって建てられた宮殿です。

コルプス・ドミニ修道院・・・エステ家の菩提寺です。

ディアマンティ宮殿・・・8,500個の白大理石をダイアモンドに見立てたことから、この名が付きました。現在はフェラーラ国立美術館が入っており、フェラーラ派の絵画を多く所蔵しています。

海外旅行は世界遺産のクレスピ・ダッダへ行こう!

クレスピ・ダッダ
Crespi d'Adda


海外旅行は世界遺産クレスピ・ダッダに行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のクレスピ・ダッダをご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 4,5
登録年  1995年

Crespi_d'adda

世界遺産のクレスピ・ダッダは、イタリア共和国ミラノの北東部、アッダ川とブレンブロ川が合流する三角地帯の渓谷に位置する企業都市です。

世界遺産のクレスピ・ダッダは、1894年頃に、当時の建築家エルネスト・ピロヴァノがクリストフォロ・ベニーニョ・クレスピの依頼により労働者のための理想郷として建設されました。

クレスピは、工場で働く労働者とその家族のため、労働者用の家や紡績工場だけでなく、学校や病院、教会や墓地など、生活に必要な施設を作り上げ、労働者はこれらを全て無料で利用できました。

世界遺産のクレスピ・ダッダは、環境問題などが社会問題視される前からクレスピによって、労働者のための理想的な町として作られたのが特筆すべき点です。

このようにクレスピ・ダッダは、人類史上の重要な時代を例証する優れた技術の集積、建築様式、建造物群を保存するために世界遺産に登録されました。

【世界遺産世界遺産のクレスピ・ダッダの見どころ】

世界遺産世界遺産のクレスピ・ダッダには、赤レンガの屋根が特徴的な労働者住宅の町並みが当時のままに残されています。

Crespi d'Adda

海外旅行は世界遺産のナポリ歴史地区へ行こう!

ナポリ歴史地区
Historic Centre of Naples


海外旅行は世界遺産ナポリ歴史地区に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のナポリ歴史地区をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  1995年

UNESCO - Historic Centre of Naples

世界遺産のナポリ歴史地区は、イタリア共和国中部、ティレニア海沿岸カンパーニア州の州都です。

世界遺産のナポリ歴史地区の起源は、紀元前470年頃にギリシアの植民都市として建設されたことに遡ります。
当時ナポリは、新しい都市という意味で「ネアポリス」という都市名で呼ばれていました。

紀元前4世紀にはナポリは、ローマの支配下に入り、ローマ帝国が衰退するとゴート人やロンバルド族、ビザンチン帝国の支配下に入りました。

8~11世紀にはナポリ公国として自治を確立していますが、1139年にはノルマン人に征服され、以後、フランス、スペインの属国となります。

1861年には、イタリア王国へ併合されています。

【世界遺産世界遺産のナポリ歴史地区の見どころ】

王宮・・・スペイン統治時代の17世紀初頭に、建築家ドメニコ・フォンターナの設計により建築された宮殿です。

卵城・・・サンタ・ルチア港の突堤に作られた要塞で、12世紀にノルマン朝が建造したものです。卵城の屋上からは、ナポリの街並み、サンタルチア港、遠くにヴェスヴィオ火山までが見渡せます。

ヌオヴォ城・・・13世紀に建てられ、別名アンジュー砦とも呼ばれるヌオヴォ城は、「新しい(Nuovo)城」を意味し、卵城と区別するために名づけられました。

サン・カルロ劇場・・・1737年創立のイタリアの三大劇場の一つとされています。

サン・マルティーノ修道院・・・ナポリの町を見下ろすヴォメロの丘の上に建っています。

ナポリ大聖堂

海外旅行は世界遺産のシエナ歴史地区へ行こう!

シエナ歴史地区
Historic Centre of Siena


海外旅行は世界遺産シエナ歴史地区に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のシエナ歴史地区をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,4
登録年  1995年

Siena, the centre

世界遺産のシエナ歴史地区は、イタリア共和国中部、トスカーナ州にある13~14世紀に全盛を誇った町です。

世界遺産のシエナ歴史地区の起源ははっきりとは分かっていないようですが、13世紀頃までには西ヨーロッパ最大の金融街として栄えました。

11世紀まで、現在のカステルヴェッキオ一帯にしか広がっていなかった市街地は、13世紀中期までには現在の市街地に匹敵する大きさにまで広がっています。

また、12世紀には他の中世イタリアの都市と同様、世界遺産のシエナ歴史地区も自治体の最小単位とするコムーネが組織されています。

金融業で栄えた世界遺産のシエナ歴史地区は、同じく金融業で勢力を得ていたフィレンツェとスカーナの覇権をめぐって対立することになります。
これにグエルフィ(教皇党)とギッベリーニ(皇帝党)という政治的思惑もからみ、13世紀になると、熾烈な武力衝突を繰り返るようになります。

そして、シエナは1260年にモンタペルティの戦いでフィレンツェを破り、トスカーナの覇権を握ります。

しかし、このわずか5年後にはフランス王国が南下しフィレンツェと手を組むこととなり、1269年にはシエナはフィレンツェとフランスの連合軍に破れ、孤立していきます。

覇権を奪われたシエナの経済活動はなおも盛んに行われ、さらに芸術活動も盛んに行われていました。

世界遺産のシエナ歴史地区での芸術活動が最も盛んだったのは、13世紀末から14世紀中期までで、黒死病の流行すると、シエーナの全ての活動は停止してしまいます。

【世界遺産世界遺産のシエナ歴史地区の見どころ】

世界遺産世界遺産のシエナ歴史地区には、世界で最も美しい広場といわれるカンポ広場を中心に、シエナ大聖堂、ロマネスク様式・ゴシック様式のプッブリコ宮などが立ち並んでいます。

海外旅行は世界遺産のヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群へ行こう!

ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群
City of Vicenza and the Palladian Villas of the Veneto


海外旅行は世界遺産ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群園をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2
登録年  1994年
拡張年  1996年

Villa Caldogno (arch. Palladio), Italy (Veneto)

世界遺産のヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群は、イタリア共和国、ヴェネト州のパドヴァとヴェローナの中間に位置するヴィチェンツァにある"パッラーディオの町"と呼ばれるヴィチェンツァの旧市街と、その郊外にあるパッラーディオ様式の邸宅群です。

ヴィチェンツァは、紀元前2世紀から紀元前1世紀に建設されたローマの都市ウィケティアが起源となっていますが、現在のヴィチェンツァが出来たのは、12世紀のことです。

15世紀には、ヴィチェンツァはヴェネツィア共和国の統治下におかれます。

現在の世界遺産のヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群は、16世紀に活躍した建築家アンドレーア・パッラーディオと彼の弟子ヴィンチェンツォ・スカモッツィの手によるものです。
当時ヴィチェンツァでは、公共建築や一般の館の建築革新が起こっていました。

富裕な貴族や文化人の後ろ盾のもと、パッラーディオたちは、ヴィチェンツァの旧市街や郊外、その他の町に壮麗な宮殿や邸宅などが建てられていきました。

パッラーディオは、古代ローマ建築に美しさを見出し、彼独自の古典主義様式を確立したことで知られています。

そして、このパッラーディオ様式と呼ばれる建築は、その後、ヨーロッパ諸国や北米の建築に多大な影響を与えています。

また、一建築家の名が建築様式に用いられることも特筆すべき点です。

世界遺産世界遺産のヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群は、かのゲーテもイタリア旅行中ヴィチェンツァに訪れた際に、パッラーディオを高く評価したと言われています。


【世界遺産世界遺産のヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群の見どころ】

世界遺産世界遺産のヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群の代表的な建築物はパラッツォ・デッラ・ラジョーネパラッツォ・デッラ・ラジョーネや、ヴィラ・カプラ、彼の最後の作品で未完成のまま弟子のスカモッツィに引き継がれて完成したオリンピコ劇場、ヴェネチアのサン・マルコ広場に似たシニョーリ広場などが点在しています。

海外旅行は世界遺産のマテーラの洞窟住居と岩窟教会公園へ行こう!

海外旅行は世界遺産のサン・ジミニャーノ歴史地区へ行こう!

サン・ジミニャーノ歴史地区
Historic Centre of San Gimignano


海外旅行は世界遺産サン・ジミニャーノ歴史地区に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のサン・ジミニャーノ歴史地区をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,3,4
登録年  1990年

Historic Centre of San Gimignano

世界遺産のサン・ジミニャーノ歴史地区は、イタリア共和国、フィレンツェの西南、トスカーナ州のシエナ県に位置する中世の街並を残す地区です。

世界遺産のサン・ジミニャーノ歴史地区は、「美しき塔の町」として知られの街の名前は398年になくなったモデナの司教、聖ジミニャーノからとられたそうです。

町の発展にはフランチジェーナ街道の建設が大いに貢献しました。

世界遺産のサン・ジミニャーノ歴史地区は、13世紀に入り、町が発展すると、貴族の権力の象徴としての塔建設が次々と行われました。
そして、50mを超える物を含む72もの塔が街内に建設されました。

世界遺産のサン・ジミニャーノ歴史地区には、には以前から防衛のための塔が建てられていましたが、当時の貴族たちはより高く美しい塔を建てることを競い合っていました。

しかし、その後ペストが流行と権力争いにより、町は衰退していきます。
1353年にはサン・ジミニャーノは、フィレンツェ共和国支配下に入ることとなりました。

世界遺産のサン・ジミニャーノ歴史地区には、13世紀から14世紀の街並みが戦争などに巻き込まれることなく良い状態で残されています。


【世界遺産世界遺産のサン・ジミニャーノ歴史地区の見どころ】

・サン・ジョバンニ門 ・・・1262年に建造された石組の中世城塞の門です。

・コレジアータ教会・・・1148年、ローマ教皇エウゲニウス3世が建立された教会で、内部にはシエナ学派による多数の美術品があります。

・サンタゴスティーノ教会・・・13世紀建築の教会

・ポポロ宮殿・・・1288年建築、1323年に増築された市庁舎です。現在残っている中で最も高い塔 (54m) を持つ建物でもあります。中は美術館となっています。

海外旅行は世界遺産のピサのドゥオモ広場へ行こう!

ピサのドゥオモ広場
Piazza del Duomo, Pisa


海外旅行は世界遺産ピサのドゥオモ広場に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のピサのドゥオモ広場をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,4,6
登録年  1987年

Pisa (Toscana) – La piazza del Duomo

世界遺産のピサのドゥオモ広場は、イタリア共和国、フィレンツェの西96kmにあるトスカーナ州アルノ川の河畔に位置する町の塔がある広場です。

ドゥオモとは大聖堂のことで、世界遺産のピサのドゥオモ広場は白色の大聖堂や洗礼堂、塔が並ぶ広場はその美しさゆえに『奇跡の広場』とも呼ばれています。

ピサは、かつて古代ローマ時代よりヴェネツィアやジェノヴァと共に海運都市として栄えました。

11世紀に建てられた大聖堂は、その繁栄の象徴です。

世界遺産のピサのドゥオモ広場には、当時の様々な国の文化が集約されていて、独特な雰囲気を持っています。

【世界遺産世界遺産のピサのドゥオモ広場の見どころ】

ピサの斜塔・・・円筒形の8階建てで、階段は296段で、さは55mの建物です。1173年着工、1372年に完成、鐘楼として建てられたこの塔は、建設直後から傾き始めたと言われています。そのせいで完成まで200年を要することになったのですが、傾きの原因は地盤の弱さだとされています。
1990年に傾きが大きくなったせいで、一時立ち入り禁止となりましたが、現在は公開を再開しています。

ドゥオモ(大聖堂)・・・都市国家であったピサが、1063年にパレルモ沖でサラセン艦隊を破ったことを記念して建築を始めたといわれています。この大聖堂は、ロマネスク様式で、大理石を積んで建てられています。

洗礼堂・・・大聖堂の西側に建っている円筒形建物で、完成に200以上を要しています。全体が白い大理石で建築途中でロマネスクからゴシック様式に変わっている珍しい建物です。

カンポサント(墓所)・・・大聖堂の北側にあり、アーチの連続する回廊付の美しい中庭を持つ墓所です。

海外旅行は世界遺産のヴェネツィアとその潟へ行こう!

ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon


海外旅行は世界遺産ヴェネツィアとその潟に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のヴェネツィアとその潟をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,3,4,5,6
登録年  1987年

UNESCO - Venice and its Lagoon

世界遺産のヴェネツィアとその潟は、イタリア共和国ヴェネト州に位置する町と周辺の島々です。

世界遺産のヴェネツィアとその潟は、アドリア海の118もの島々を400の橋と176の運河で結ばれていて、まさに水上の迷宮です。

世界遺産のヴェネツィアとその潟の起源は、5世紀頃、ゲルマン族の進入から逃れるために、当時湿地帯であった場所に町を造ったのが始まりだと言われています。

やがて、世界遺産のヴェネツィアとその潟は東西貿易の中継地として繁栄し、14世紀のルネッサンス時代には「アドリア海の女王」と謳われるまでに発展していきました。

しかし、その後、世界遺産のヴェネツィアとその潟は、コロンブスアメリカ大陸や日本の発見などによって、貿易の中心は大西洋や太平洋といった外海にシフトしていったこと、また伝染病などの流行とともに徐々に衰退していきました。

そして、1669年に地中海貿易で最も重要であったクレタ島を失うと、ヴェネツィアとその潟の政治的、経済的繁栄は終わりを告げました。

ヴェネツィアの中心街にある建築物以外にも、ヴェネツィアン・グラスで有名なムラーノ島、レース編みで有名なブラーノ島、島全体が墓所となっているサン・ミケーレ島も世界遺産として登録されています。

アドリア海の真珠といわれるほど美しいヴェネツィアは、世界中の世界遺産の中でも特別な物件です。

というのも、世界遺産ヴェネツィアとその潟は、文化遺産の登録基準すべて(6つ)を満たしているからです。

ただ、常に治水対策が重要課題であった世界遺産ヴェネツィアとその潟では、近年地盤沈下と地球温暖化による海面上昇によって問題が深刻化していて、水没の危機にさらされているとのことです。

【世界遺産世界遺産のヴェネツィアとその潟の見どころ】

サン・マルコ広場・・・ヴェネツィアの表玄関で街の中心にある広場で、ナポレオン・ボナパルトが「世界で最も美しい広場」と評したといわれています。

サン・マルコ大聖堂・・・ビザンチン建築の代表的な建物で、もとは、聖人マルコの遺骸を収めるため9世紀頃に建造されました。11世紀に改築が始まり約400年かけて現在の形になりました。

ドゥカーレ宮殿・・・ヴェネツィア共和国時代に総督公邸として使われていた建物で、白の柱とピンクのタイルが印象的なゴシック建築物です。ドゥカーレ宮殿の裁判所と監獄を結ぶ橋は、ため息の橋と呼ばれていて、縁結びスポットとしても人気の橋です。

リアルト橋・・・ヘの字のような形が特徴の橋で、長さ48m、幅22mで通路は階段となっています。

ムラーノ島・・・ヴェネツィアの北東約2kmに位置し、ヴェネツィアングラスの産地として有名です。

ブラーノ島・・・ヴェネツィアの北東約9kmにに位置し、レース織の工房があることで有名です。

海外旅行は世界遺産のフィレンツェ歴史地区へ行こう!

フィレンツェ歴史地区
Historic Centre of Florence


海外旅行は世界遺産フィレンツェ歴史地区に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のフィレンツェ歴史地区をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,3,4,6
登録年  1982年

Florence, Italy

世界遺産のフィレンツェ歴史地区は、イタリア共和国中部に位置し、紀元前にエトルリア人が創設した町です。

フィレンツェは、町全体が「屋根のない美術館」と称されるほど、建築物や彫刻などの芸術作品は貴重なものが残されています。

エトルリア人によって創設されたフィレンツェは、ローマ帝国皇帝支配を経て、12世紀には事実上の自治都市となり、町は発展していきます。

ルネサンスの象徴ともいえるフィレンツェの町は、メディチ家によって繁栄したといっても過言ではありません。

メディチ家は、ルネサンス期のフィレンツェにおいて銀行家、政治家として台頭、フィレンツェの実質的な支配者として君臨し、後にトスカーナ大公国の君主となった一族です。
そして、その財力でボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリ、ブロンツィーノ、アッローリなどの多数の芸術家をパトロンとして支援し、ルネサンスの文化を育てる上で大きな役割を果たしたことでも知られています。

世界遺産のフィレンツェ歴史地区には、13~16世紀の繁栄期に残された歴史的建造物が今でも大切に保存されています。

人類の歴史上、重要な時代を例証するものとして、フィレンツェ歴史地区全体が世界遺産に登録されました。

【世界遺産世界遺産のフィレンツェ歴史地区の見どころ】

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂・・・「花の聖母マリア」の意味を持つ大聖堂で、フィレンツェのシンボル的存在です。石積み建築のドームとしては現在でも世界最大です。

ヴェッキオ宮殿・・・14世紀の始めにフィレンツェの政庁舎として建築され、一時メディチ家の住居とされていました。

ウフィツィ美術館・・・近代式の美術館としてヨーロッパ最古といわれ、ウフィツィ(Office)の名は、かつフィレンツェ共和国政府の政庁舎だったことから付けられました。メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、ボッティチェッリの「ビーナスの誕生」や「春」が収められています。

ピッティ宮殿・・・16世紀半ばにメディチ家が購入し、歴代トスカーナ大公の居館となった宮殿です。ウフィツィ美術館とヴァザーリの回廊で結ばれています。

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会・・・ドミニコ会の修道僧が設計し、14世紀後半に完成したゴシック様式の聖堂です。内部には現在まで続く世界最古の薬局「サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局」があります。
また、レオナルド・ダ・ビンチが3年間暮らし、モナリザの製作を行った場所としても有名です。

サンタ・クローチェ聖堂・・・14世紀後半に完成したゴシック様式の聖堂で、世界最大のフランシスコ会の教会です。堂内には、ミケランジェロやガリレオ、作曲家のロッシーニなどの著名なイタリア人の墓が多数あることでも知られています。

海外旅行は世界遺産のローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂へ行こう!

ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂
Historic Centre of Rome, the Properties of the Holy See in that City Enjoying Extraterritorial Rights and San Paolo Fuori le Mura


海外旅行は世界遺産ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2,3,4,6
登録年  1980年
拡張年  1990年


フォロ・ロマーノ

世界遺産のローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂は、イタリア共和国ローマおよびバチカン市国に残されているローマ帝国時代の遺跡郡です。

ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂は、1980年にヴェネツィア広場を中心としたエリアが世界遺産登録され、1990年には、アウグストゥスの霊廟、ハドリアヌス帝の霊廟などが拡張登録されています。

ローマ帝国時代の首都であったローマ歴史地区は、伝説では紀元前753年、テベレ川東岸に広がる「七つの丘」の一つ、パラティーノの丘に双子の兄弟であるロムルスとレムスによって築かれたと伝えられています。
しかし、実際には、紀元前7世紀ごろにサビニ人、ラテン人がローマを築いたとされています。

ローマ歴史地区は、ローマ市のアウレリアヌスの城壁内にほぼ位置し、ローマ帝国の最盛期の1~2世紀に政治・経済・宗教の中枢をなしたフォロ・ロマーノを中心に、多くの遺跡が残されています。

なお、教皇領とは、ローマ教皇の支配していた領土を指します。

【世界遺産世界遺産のローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂の見どころ】

フォロ・ロマーノ・・・フォロとは、広場のことで、パラティーノの丘とカンピドリオの丘の中間に位置します。ローマ帝国の政治、商業と市民の生活の中心だった場所です。

コロッセオ・・・80年にティトゥス帝が建築したもので、当時はフラウイウスの闘技場と呼ばれていたそうです。高さ48.5メートル、外周527メートル、5万人を収容することができたと言われています。

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂・・・コンスタンティヌス帝が312年に建築した、世界で初めての本格的なキリスト教聖堂です。ラテラノ条約によってバチカンの特別な権利が認められています。

サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂・・・4世紀、コンスタンティヌス帝により建築された、聖パウロの墓がある聖堂です。フオーリ・レ・ムーラとは、「城壁の外」という意味で、その名の通り城壁から南へ2kmはなれた場所にあります。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂・・・7つの丘の1つエスクィリーノの丘の上に建つ聖堂。教皇リベリウスの夢の中で「夏に雪の降った地に教会を立てよ」と聖母が告げ、実際に真夏に雪が降った場所に聖堂を建てたという伝説から、雪の聖母聖堂とも言われています。

カラカラ浴場・・・217年にカラカラ帝によって造られた公衆浴場で、1600人収容可能だったと推定されています。浴場以外にも図書館などもあり、娯楽施設の役割を果たしていたとされています。

コンスタンティヌスの凱旋門・・・315年に建てられ、見事なレリーフが施されています。

海外旅行は世界遺産のレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院へ行こう!

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院
Church and Dominican Convent of Santa Maria delle Grazie with "The Last Supper" by Leonardo da Vinci


海外旅行は世界遺産レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,2
登録年  1980年


The Last Supper

世界遺産のレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院は、イタリア共和国北西部のミラノ市の市街に建つ、15世紀に創建されたルネサンス様式の赤いレンガ造りの教会と隣接するドメニコ会修道院です。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、1446年から1490年のルネッサンス期にゴシック様式で建設され、修道院は1492年、ミラノ公の依頼で当代一の建築家ブラマンテが増改築を手がけ、回廊などが付け加えられました。

「最後の晩餐」は、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの依頼で、レオナルド・ダ・ヴィンチがサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描いたものです。

その「最後の晩餐」には、ヨハネ福音書第13章21節の場面、すなわちキリストが12人の弟子の一人が私を裏切ると予言し、それに動揺する弟子たちの様子が描かれています。

1495年から描き始めて、1998年に完成した壁画は、縦4m・横9mの巨大なテンペラ画ですが、実はこの技法は、耐久性が弱いため壁画には不向きなという決定的な欠点があり、世界遺産のレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」も完成後10年もしないうちに損傷がはじまっていたと言われています。

16世紀から19世紀にかけて修復が試みられますが、この修復が適切ではなかったため、却ってダメージを大きくする結果となってしまいます。

そして、1977年から1999年までの22年間をかけて本格的な修復作業が行われ、レオナルド・ダ・ヴィンチの最高傑作「最後の晩餐」が蘇ることとなりました。

【世界遺産世界遺産のレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院の見どころ】

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、一点透視図法という遠近法が用いられていて、あたかも絵の奥のほうまで食堂がつながっているかのような錯覚を観る者に起こさせます。

世界遺産世界遺産のレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院の見学は有料で、さらに事前予約が必要ですが、その際空きがあれば即時での見学も可能です。

海外旅行は世界遺産のヴァルカモニカの岩絵群へ行こう!

ヴァルカモニカの岩絵群
Rock Drawings in Valcamonica


海外旅行は世界遺産ヴァルカモニカの岩絵群に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のヴァルカモニカの岩絵群をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 3,6
登録年  1979年

Ancient drawings on stone in Italy

世界遺産のヴァルカモニカの岩絵群は、イタリア共和国北部ロンバルディア地方のオーリオ川沿いに約70kmに続いている渓谷の岩石彫刻です。

世界遺産のヴァルカモニカの岩絵群には、紀元前18~前2世紀頃までの長きにわたって描かれた14万点もの線刻画が残っています。

描かれているのは、青銅器時代の古代人の農耕や狩猟、航海、戦争などから、紀元前1500年ごろの集落の地図まで多岐に渡り、世界遺産のヴァルカモニカの岩絵群は、当時の生活を知る貴重な資料になっています。

ちなみに、ヴァルカモニカの岩絵群はイタリアで初めて世界遺産に登録された物件です。

【世界遺産世界遺産のヴァルカモニカの岩絵群の見どころ】

世界遺産世界遺産のヴァルカモニカの岩絵群は、8つの公園、保護地区で見学が可能となっています。

その中でも主要なポイントは、ナクアネ岩壁彫刻国立公園で、ここでは104つからなる岩絵群を見ることができます。

また、ラディア・ベドリナ市立考古学公園も知られていて、ナクアネ岩壁彫刻国立公園より規模は小さいですが、ここでも岩絵群を見ることができます。

海外旅行は世界遺産のトカイワイン産地の歴史的文化的景観へ行こう!

トカイワイン産地の歴史的文化的景観
Tokaj Wine Region Historic Cultural Landscape


海外旅行は世界遺産トカイワイン産地の歴史的文化的景観に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のトカイワイン産地の歴史的文化的景観をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 3,5
登録年  2002年

HUNGARY - Tokaj Wine Region Historic Cultural Landscape 4

世界遺産のトカイワイン産地の歴史的文化的景観は、ハンガリー共和国北東部、スロバキアとウクライナ国境に近いティサ川とボドログ川流域のトカイ地方にあるワイン生産地域と貯蔵設備群です。

世界遺産のトカイワイン産地の歴史的文化的景観は、28の有名な村と7000ヘクタールのブドウ畑から成ります。
現在も栽培が行われているブドウ畑は、およそ5000ヘクタールです。

トカイ地方でワインの生産が始まったのは、定かではないようですが、歴史的な資料から12世紀にはここにブドウ畑が作られていたことが分かっているので、恐らくそれ以前からワインの生産が始まっていたと推測されています。

トカイ地方がワインの生産地として発展したのは、16世紀以降です。

トカイワインの名を世に知らしたのは17世紀にはなってからで、ヴェルサイユ宮殿でトカイワインが出され、ルイ14世をして、「王者のワインにしてワインの王者」と言わしめたほどです。

芳醇な香りと甘味が特徴のこのトカイワインは、実は偶然の産物だったようです。

そもそもトカイ地方は、気候や地形からブドウの栽培に適しいる上に、秋から冬にかけ畑を包み込む濃い霧が発生し、湿気により葡萄の房にカビが発生します。
17世紀にオスマン・トルコの侵略するとブドウの栽培が遅れ、そこへこの地方独特の気象条件が加わって偶然生まれたのがトカイワインだとされています。

世界遺産のカイワイン産地の歴史的文化的景観は、1000年以上にもわたるワインを生産の伝統的な土地利用、葡萄畑、農村の歴史、さらに300年前からワイン生産管理を厳しく行ってきた良質のワインを生産する自然と文化が評価されました。

【世界遺産世界遺産のトカイワイン産地の歴史的文化的景観の見どころ】

世界遺産世界遺産のトカイワイン産地の歴史的文化的景観では、トカイ ラーコーツィー・ワインセラー、セラー試飲会場、トカイ博物館があります。

海外旅行は世界遺産のペーチ(ソピアネ)にある初期キリスト教墓地遺跡へ行こう!

ペーチ(ソピアネ)にある初期キリスト教墓地遺跡
Early Christian Necropolis of Pécs (Sopianae)


海外旅行は世界遺産ペーチ(ソピアネ)にある初期キリスト教墓地遺跡に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のペーチ(ソピアネ)にある初期キリスト教墓地遺跡をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 3,4
登録年  2000年


Christian necropolis in Pécs

世界遺産のペーチ(ソピアネ)にある初期キリスト教墓地遺跡は、ハンガリー共和国南部のペーチ市にある墓所遺跡です。

ペーチは古代ローマ帝国属領時代にソピアネと呼ばれた町で、2世紀にローマ人によって建造されました。
4世紀頃には交易で栄え、世界遺産に登録されている墓所が建てられたのもこの頃とされています。

11世紀にはハンガリー王国の初代国王イシュトヴァーン1世によってここに司教区が置かれたのもこの墓所が影響しているといわれています。

世界遺産のペーチ(ソピアネ)にある初期キリスト教墓地遺跡が発見されたのは、18世紀に入ってからでした。
その後、20世紀まで断続的な発掘で様々な遺跡が見つかっています。

【世界遺産世界遺産のペーチ(ソピアネ)にある初期キリスト教墓地遺跡の見どころ】

世界遺産世界遺産のペーチ(ソピアネ)にある初期キリスト教墓地遺跡は、16箇所の墓地からなっており、なかでも1872年に発見されたカタコンベは、西側の壁面にペトロとパウロが描かれていることから、「ペトロ=パウロ」というあだ名で呼ばれています。

また、この埋葬室には、ほかにも聖書を題材にしてアダムとイヴ、ヨナ、マリアと幼子イエスなどを描いた壁画があり、初期キリスト教美術の貴重な遺産と評価されています。

Early Christian Necropolis of Pécs (Sopianae)

海外旅行は世界遺産のホルトバージ国立公園-プッツァへ行こう!

ホルトバージ国立公園-プッツァ
Hortobágy National Park - the Puszta


海外旅行は世界遺産ホルトバージ国立公園-プッツァに行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のホルトバージ国立公園-プッツァをご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 4,5
登録年  1999年


Hortobágy, Hungary

世界遺産のホルトバージ国立公園-プッツァは、ハンガリー共和国東部のデブレツェン西方に位置する、面積800㎢の国立公園です。

ホルトバージ国立公園は、ハンガリー内で最大の保護された地域であり、また現存する中央ヨーロッパ最大の牧草地でもあります。

ここでは、「プッツァ」と呼ばれる平原と湿地帯があり、動物の放牧が見られます。

この地は2000年以上、牧畜で栄えてきており、遊牧民たちがこの地方独特の長い角の牛やラッカと呼ばれる羊の放牧を行っています。

また、牛や羊以外にも様々な種類の野生生物、300種類以上の鳥類などの生息地でもあります。

世界遺産のホルトバージ国立公園-プッツァでは、その自然環境だけでなく、そこに形成された文化的景観が評価されたものです。

【世界遺産世界遺産のホルトバージ国立公園-プッツァの見どころ】

公園内にはハンガリー最長(92m)、かつ、最古の石橋(1833年完成)や、17世紀末から19世紀に建てられた「チャールダ」と呼ばれる旅籠屋などの歴史的建造物も残されています。

海外旅行は世界遺産のパンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境へ行こう!

パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境
Millenary Benedictine Abbey of Pannonhalma and its Natural Environment


海外旅行は世界遺産パンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のパンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 4,6
登録年  1996年

Pannonhalma

世界遺産のパンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境は、ハンガリー共和国北西部に位置するパンノンハルマ市にあるハンガリー最古の修道院とその周辺の自然環境です。

パンノンハルマの大修道院は、996年にハンガリー初のベネディクト会修道院として、ゲーザ大公(Géza)によって創設されました。

修道院は、12世紀に火災により消失し、その後再建されています。
そして、1486年には、国王マーチャーシュ1世のもとで、ゴシック様式の改築が行われました。

1541年に大修道院となると、16世紀から17世紀にかけてのオスマン帝国のヨーロッパ侵攻にあわせて、要塞に転用されました。

オスマン帝国の支配の後、パンノンハルマの大修道院は損傷した建造物群の再建が行われ、バロック様式での建設が進められました。

18世紀には啓蒙思想の影響で修道院の生活も影響を受け、育児や教育のみ重点が置かれていました。

世界遺産のパンノンハルマのベネディクト会修道院には、今でも修道士がここで暮らしています。
修道院には男子の寄宿学校であるパンノンハルマのベネディクト会中等学校が併設されています。

【世界遺産世界遺産のパンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境の見どころ】

世界遺産世界遺産のパンノンハルマのベネディクト会修道院とその自然環境には、13世紀に建設されたクリプトを含むバシリカ式聖堂や、回廊、36万冊の蔵書を擁する付属図書館、バロック様式の会食堂、19世紀半ばに建てられた高さ55mの時計塔などが残っています。

また、修道院には植物園も付設されていて、薬草や貴重種が育てられるなど、建物群などの文化価値と併せて自然価値も評価されています。

海外旅行は世界遺産のアグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群へ行こう!

アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群
Caves of Aggtelek Karst and Slovak Karst


海外旅行は世界遺産アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のアグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群をご紹介します。

登録区分 自然遺産
登録基準 8
登録年  1995年
拡張年  2000年、2008年

cave Domica

世界遺産のアグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群は、ハンガリー共和国北部のアグテレック地方に広がるカルスト地形(アグテレック・カルスト)とスロバキア共和国南部のスロバキア・カルストにまたがる、カルパティア山脈一帯に点在する700以上の洞窟群です。

アグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群は、ハンガリーとスロバキア両国共有の世界遺産として登録されています。

【世界遺産世界遺産のアグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群の見どころ】

世界遺産世界遺産のアグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群のなかには、ヨーロッパ最大の鍾乳洞バラドゥラ=ドミツァ洞窟があります。
この洞窟は、両国にまたがっていて、その長さは25kmにも及び、ハンガリー側はバラドゥラ洞窟、スロバキア側はドミツァ洞窟と呼ばれています。

バラドゥラ洞窟は複雑に入り組んでいて、その形状に合わせて様々な異名が付けられています。
その中のひとつ、鍾乳洞の音響効果が音楽鑑賞に効果的なために名づけられた「コンサートの広間」では、夏に実際にオペラやオーケストラの演奏会が開催されます。

スロバキア側にあるドブシンスカ氷穴は、夏でも氷が溶けない氷の洞窟で、30~40万年前の氷河期に形成され、洞窟内に閉じ込められた冷気が雨や霜を冷やし、氷壁や氷柱を作り出しました。
ただし、ここへの見学ツアーは夏しか行われていません。

Dobšinská ľadová jaskyňa

海外旅行は世界遺産のホローケーの古村落とその周辺地区へ行こう!

ホローケーの古村落とその周辺地区
Old Village of Hollókö and its Surroundings


海外旅行は世界遺産ホローケーの古村落とその周辺地区に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のホローケーの古村落とその周辺地区をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 5
登録年  1987年

UNESCO - Old Village of Hollókö and its Surroundings

世界遺産のホローケーの古村落とその周辺地区は、ハンガリー共和国、ノーグラード県の村と農村建築物群です。

世界遺産のホローケーの古村落とその周辺地区には、トルコ系クマン人の末裔であるパローツ人が100人ほど住んでいます。

そして、世界遺産のホローケーの古村落とその周辺地区には、パローツ様式(Palóc)と呼ばれる独特の建築様式が保存されています。

パローツ様式で建てられた民家の特徴は、白壁と木製瓦葺きの屋根です。
白壁は泥と藁を混ぜたものに石灰を塗って作られています・
屋根は主に入母屋造で、破風には木製の飾り格子があり、それぞれの家が分かる家紋のような透かし彫りになっています。

世界遺産のホローケーの古村落とその周辺地区は、これまで幾度となく火災に遭いましたが、そのたびに伝統的な方法で家を再建してきました。
その甲斐あってか、ホローケーは「ハンガリーで最も美しい村」と評されています。

また、世界遺産のホローケーの古村落とその周辺地区では、バローツの民族衣装も大変美しいです。
この民族衣装は、特別な行事のほか、日曜の礼拝など、いまでも日常的に着用されています。

【世界遺産世界遺産のホローケーの古村落とその周辺地区の見どころ】

世界遺産世界遺産のホローケーの古村落とその周辺地区では、民族衣装を身に着けた人々がパレードを行い、伝統工芸品の市が立つ、とても華やかでかわいらしい祭り復活祭イースターが4月の中旬に催されます。

海外旅行は世界遺産のドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペストへ行こう!

ドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペスト
Budapest, including the Banks of the Danube, the Buda Castle Quarter and Andrássy Avenue


海外旅行は世界遺産ドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペストに行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペストをご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  1987年
拡張年  2002年

Hungary: Budapest - Parliament


世界遺産のドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペストは、ハンガリー共和国、首都ブダペストの美しい街並みです。

ブダペストは、ドナウ川を挟んで西岸のブダ地区と東岸のペスト地区からなり「ドナウの真珠」、「ドナウのバラ」、「ドナウの女王」、「東欧のパリ」などと呼ばれ、美しさには定評がある街です。

ブダペストの歴史は、2世紀に築かれたローマ帝国の植民都市アクインクム (Aquincum) にまで遡ります。
アクインクムは時代の遺跡がオーブダ地区周辺を中心に残されています。

9世紀にマジャール人の移住してくると、現在のペストであるクインクムの対岸を中心に発展しました。

ハンガリーが1241年から1242年にかけてモンゴル帝国の侵攻を受けると、防衛のためペストの対岸の丘に城塞が築かれ、エステルゴムから都が移されたました。
これがブダ地区の発展の始まりです。

16世紀に入るとハンガリーはオスマン帝国に占領され、事故によって城も損壊します。

17世紀末には神聖ローマ帝国領となった後、特にマリア・テレジアの治世下などで建造物群の修復や増築が大規模に行われました。

1872年にはブダ、オーブダ、ペストの3地区の統合が決まり、現在のブダペストが成立しました。
時期を同じくして、ハンガリーは、オーストリア=ハンガリー帝国の成立で自治が認められたことから、様々な建築物の改築や新築が進められ、街並みが整えられていきました。

これらの建物は、第2時世界大戦などによって大きな被害を受けましたが、現在は修復され、19世紀以降の街の姿がほぼ再建されています。


【世界遺産世界遺産のドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペストの見どころ】

ブダ城・・・ブダ地区の発展の象徴とされ、先進的なルネサンス様式が取り入れられていいます。 現在、城内にはハンガリー国立美術館、国立セーチェーニ図書館(ハンガリーの国立図書館)、ブダペスト歴史博物館などが入っています。
また、ブダ城の地下には自然の洞窟が元になった長大な迷宮が広がり、地下の墓所なども残っています。

マーチャーシュ聖堂・・・正式名は「聖母マリア聖堂」で、1255年から1269年にベーラ4世が建造した聖堂が元になっています。

国会議事堂・・・ペスト地区河岸の建造物群の中でもひときわ目を惹くハンガリーの国会議事堂です。館内には画家ムンカーチ・ミハーイの作品『征服』などが飾られ、王権の象徴であった聖イシュトバーンの王冠や王笏などが展示されています。

エルジェーベト橋・・・橋の名前は、美貌で知られたオーストリア皇后エリーザベト(ハンガリー王妃エルジェーベト)にちなんでいます。1903年の完成当初は、チェーン吊橋としては世界最大で最も美しいとも言われていました。

アンドラーシ通り・・・通りの名前は、当時の首相アンドラーシ・ジュラにちなんでいて、街路のモデルとなったのはパリのシャンゼリゼ通りです。
この通り沿いには国立オペラ座があり、

このほかにも、世界遺産世界遺産のドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペストには数多くの見所があります。

昼間見て回るのもいいですが、ドナウ川から見えるブダペストの夜景は、まさにすばらしいの一言につきます。

夜になるとブダ城とくさり橋がライトアップされた姿もぜひ見ておきたいところです。

海外旅行は世界遺産のレーゲンスブルク旧市街とシュタットアンホフへ行こう!

レーゲンスブルク旧市街とシュタットアンホフ
Old town of Regensburg with Stadtamhof


海外旅行は世界遺産レーゲンスブルク旧市街とシュタットアンホフに行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のレーゲンスブルク旧市街とシュタットアンホフをご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,3,4
登録年  2006年

Stone Bridge Regensburg - Blue Hour

世界遺産のレーゲンスブルク旧市街とシュタットアンホフは、ドイツ連邦共和国、南東部のバイエルン州にある都市レーゲンスブルクのドナウ南岸に位置する旧市街と、対岸のシュタットアムホーフにある旧聖カタリナ慈善病院です。

ドナウ川とレーゲン川の合流点に位置する交通の要衝として、特に中世には一大交易地として栄えました。
1663年から1806年には、レーゲンスブルクの市庁舎には神聖ローマ帝国議会が常設され、帝国の中心的都市の一つとなりました。

【世界遺産世界遺産のレーゲンスブルク旧市街とシュタットアンホフの見どころ】

レーゲンスブルク大聖堂・・・1275年着工、1869年完成の大聖堂は、純粋なドイツゴシック建築のすぐれた例証とされています。大聖堂付属の少年合唱団も世界的に有名です。        
シュタイナーネ橋・・・1135年から1146年に架けられた橋で、ドイツに現存する最古の石橋です。十字軍の騎士たちは、聖地エルサレムに向けた行軍の際に、ドナウ川に架かるこの橋を渡ったと言われています。
聖ウルリヒ教区教会・・・現在は、宗教芸術などを扱った聖ウルリヒ司教区博物館が入っています。
黄金十字の宿屋
旧聖カタリナ慈善病院

このほかにも世界遺産世界遺産のレーゲンスブルク旧市街とシュタットアンホフには、2000年余りの歴史が生んだ景観が、第1次及び第2次世界大戦の被害を受けず残されています。

世界遺産世界遺産のレーゲンスブルク旧市街とシュタットアンホフは、まるでおとぎの国を訪れたようだと言われることもしばしばです。

海外旅行は世界遺産のムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園へ行こう!

ムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園
Muskauer Park / Park Muzakowski


海外旅行は世界遺産ムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 1,4
登録年  2004年

The Castle - Muskauer Park

世界遺産のムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園は、ドイツ連邦共和国北東部とポーランド共和国の西部、ラウジッツ・ナイセ川が流れる国境に広がる英国式庭園です。

世界遺産のムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園は、ドイツ側はバート・ムスカウ(Bad Muskau)、ポーランド側はウェンクニツァ(Łęknica)の町に接しています。

世界遺産のムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園は、1815~1844年に、ヘルマン・フォン・ピュックラー・ムスカウ王子が造園したもので、周辺の農地景観と見事に一体化しています。

このムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園は、都市景観設計への新たなアプローチの先駆けでした。

第二次世界大戦末期のベルリンの戦いにおいてはこの地も戦場となり、庭園内の城や橋は破壊を受けました。
そして、第二次世界大戦後にナイセ川が国境とされ、世界遺産のムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園は、ドイツとポーランドの二つの国に分割されました。

現在、世界遺産のムスカウアー公園/ムジャコフ公園は、修復が進められ、元の景観が甦りつつあります。

【世界遺産世界遺産のムスカウアー公園/ムジャコフスキ公園の見どころ】

ドイツ側のムスカウ公園(正式名:フュルスト・ピュックラー公園(Fürst-Pückler-Park Bad Muskau))のセンター部分にある新城(Neues Schloss)、マウンテン公園の中にある教会の遺跡、ポーランド側の橋梁やピュックラーの石碑などがあります。

海外旅行は世界遺産のブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像へ行こう!

ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像
Town Hall and Roland on the Marketplace of Bremen


海外旅行は世界遺産ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 3,4,6
登録年  2004年

The Town Hall and the statue of Roland on the marketplace of Bremen (Unesco World heritage)

世界遺産のブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像は、ドイツ連邦共和国北西部に位置するブレーメンの中心的な広場であるマルクト広場に面する市庁舎と、広場中央に立つローラント像です。

ブレーメンは、中世、ハンザ同盟都市として栄えた港町です。

旧市街のマルクト広場に立っている市庁舎は、1405年から1409年にゴシック様式で建築され、その後1595年から1612年に、建築家リュダー・フォン・ベントハイムによってヴェーザー・ルネサンス様式に改築されました。

ローラント像は、市庁舎の真正面、マルクト広場の中央位置する場所にあり、中世文学『ローランの歌』に登場する英雄ローラントを象った巨大な立像です。

1404年に建てられたローランド像は、ブレーメンの自治都市としての尊厳を象徴するものでした。

このローラント像は、当初は木像でしたが、ブレーメン大司教の手によって放火され消失した後、石造で再建されています。

マルクト広場の向かいには商業会議所が建ち、右手にはブレーメン大聖堂と近代的な市議会、左手には聖母教会が建っています。
また、広場の西側には、ゲアハルト・マルクス(Gerhard Marcks)作の「ブレーメンの音楽隊」像も立っています。

【世界遺産ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像の見どころ】

ブレーメン市内には4体のローラント像がありますが、ブレーメン大聖堂に面してマルクト広場中央に立っている像が最も有名です。

また、市庁舎の地下にある酒場では、1653年に作り上げられたドイツ最古のワイン樽蔵があり、400種類を超えるワインが用意されています。

海外旅行は世界遺産のシュトラールズント及びヴィスマルの歴史地区へ行こう!

シュトラールズント及びヴィスマルの歴史地区
Historic Centres of Stralsund and Wismar


海外旅行は世界遺産シュトラールズント及びヴィスマルの歴史地区に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のシュトラールズント及びヴィスマルの歴史地区をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  2002年

UNESCO Wismar Georgenkirche I - Historic Centres of Stralsund and Wismar (5 cards)

世界遺産のシュトラールズント及びヴィスマルの歴史地区は、ドイツ連邦共和国北部、バルチック海岸のメクレンブルク・フォアポンメルン州にある中世の町です。

世界遺産のシュトラールズント及びヴィスマルの歴史地区は、14~15世紀には、ハンザ同盟の主要な貿易港でした。

1234年に都市権を獲得したシュトラールズントは、1278年にハンザ同盟都市の一員となります。
シュトラールズントは、17世紀に三十年戦争の講和条約であるヴェストファーレン条約によってスウェーデン領となりますが、ナポレオン戦争の後にプロイセンの支配下に置かれます。

一方ヴィスマルは、1229年に都市権を獲得し、バルト海で猛威をふるう海賊からの通商交通路の防衛を目的にリューベックなどと協力し、後にハンザ同盟へと発展したとされています。
その後、シュトラールズント同様スウェーデン領となり、1903年にスウェーデンが権利を放棄するまで続きました。

シュトラールズント及びヴィスマルの歴史地区は、教会ならびに市内の建造物は「ハンザ同盟都市の煉瓦建築」が評価されて世界遺産に登録されました。

【世界遺産シュトラールズント及びヴィスマルの歴史地区の見どころ】

世界遺産のシュトラールズント及びヴィスマルの歴史地区は、ゴシック建築のドーベラナー大聖堂など建造物に特徴があるほか、焼きレンガの壁も壮観です。
このレンガの壁は、当地ではバックシュタインと呼ばれ、断熱ブロックと外張断熱工法により現代にも通じる建築技術と言われています。

このほか、世界遺産のシュトラールズント及びヴィスマルの歴史地区は、ザンクト・ニコライ聖堂も有名です。

海外旅行は世界遺産のライン渓谷中流上部へ行こう!

ライン渓谷中流上部
Upper Middle Rhine Valley


海外旅行は世界遺産ライン渓谷中流上部に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のライン渓谷中流上部をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4,5
登録年  2002年

Upper Middle Rhine Valley II

世界遺産のライン渓谷中流上部は、ドイツ連邦共和国、ラインラント・ファルツ州とヘッセン州のマインツからコブレンツまで、全長約65kmのライン川の渓谷のことです。

ライン川は中世から中央における交易の重要な経路であり、川の流域には人々が住み、小さな集落が形成されてきました。

やがて、世界遺産のライン渓谷中流上部に城が建てられると、神聖ローマ帝国時代は、この地域は、帝国の中枢となりました。

【世界遺産ライン渓谷中流上部の見どころ】

現在では、渓谷に沿ってのクルージングが人気です。

世界遺産ライン渓谷中流上部には、ラインシュタイン城、ライヒェンシュタイン城、ゾーンエック城、シュタールエック城、シェーンブルク城、ラインフェルス城、グーテンフェルツ城、エーレンフェルツ城など、今もその栄華を誇る城が建ち並び、古い町並み、聖堂、修道院など、中世の景観が残されています。

Schloss Stolzenfels, Koblenz (Die Aufnahme wurde mit einer Nikon F5 gemacht)

歴史都市ザンクト・ゴアールの川幅が狭いところには、ハイネの詩に詠まれた「ローレライの岩」があります。

海外旅行は世界遺産のエッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群へ行こう!

エッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群
Zollverein Coal Mine Industrial Complex in Essen


海外旅行は世界遺産エッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のエッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,3
登録年  2001年


Zeche Zollverein

世界遺産のエッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群は、ドイツ連邦共和国西部、ノルトライン=ヴェストファーレン州エッセンにある産業遺産です。

世界遺産のエッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群は、企業家フランツ・ハニエルによって設立され、「ツォルフェライン」の名は、1834年に結成されたドイツ関税同盟(ツォルフェアアイン)にちなんで付けられました。

石炭の採掘は1847に始まり、年1890年までに、世界遺産のエッセンのツォルフェラインは、ドイツの全鉱山の頂点に立ちました。

そして、第一次世界大戦直前には、ツォルフェアアインの産出量はさらに倍以上にもなっていました。

1930年には、当時影響力があったバウハウスのデザインによって新しい施設が建設され、当時は世界最大の石炭採掘施設と言われていました。
この施設は、最新の技術を駆使して造られていますが、機能性だけでなく美しさも追求されて建築物としての評価も高いものとなっています。

その後、ヨーロッパの鉄鋼業が衰退し、コークスの需要が減少したため、エッセンのツォルフェライン炭坑は1993年に操業を停止しました。

現在、世界遺産のエッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群は、エッセン市などが炭鉱の全施設を保全して再利用されています。

【世界遺産エッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群の見どころ】

世界遺産のエッセンのツォルフェライン炭坑業遺産群は、建築上からも技術上からも傑作と呼べるものであり「世界で一番美しい炭鉱」と評価されています。

海外旅行は世界遺産の僧院の島ライヒェナウへ行こう!

僧院の島ライヒェナウ
Monastic Island of Reichenau


海外旅行は世界遺産僧院の島ライヒェナウに行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産の僧院の島ライヒェナウをご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 3,4,6
登録年  2000年

Insel Reichenau (St. Peter und Paul (Niederzell), Monastic island of Reichenau)

世界遺産の僧院の島ライヒェナウは、ドイツ連邦共和国、バーデン=ヴュルテンベルク州のコンスタンツ湖に浮かぶ島です。

世界遺産の僧院の島ライヒェナウは、一本の人工の道によって本土とつながっています。

世界遺産の僧院の島ライヒェナウは、中世にはベネディクト修道会の拠点として大きな役割を果たしました。

世界遺産僧院の島ライヒェナウでは、8世紀には25もの宗教施設が建てられました。

中世の修道院跡が島の風景に溶け合い、まるで絵画のように美しい世界遺産の僧院の島ライヒェナウは、近隣に湿地帯が広がり、渡り鳥の休息地となっています。

【世界遺産僧院の島ライヒェナウの見どころ】

世界遺産僧院の島ライヒェナウには724年に創建されたベネディクト会修道院跡が残されており、聖マリア修道院、聖ペテロ・パウロ修道院、聖ゲオルク修道院など9~11世紀の修道院があります。

また、世界遺産僧院の島ライヒェナウは、ベネディクト修道会の拠点としてだけではなく、中世ヨーロッパの美術の重要地としても発展していきます。

9世紀末に建てられたザンクト・ゲオルク聖堂は、「キリストの奇跡」と呼ばれるロマネスク以前の壁画などが残されています。
ザンクト・ゲオルク聖堂の壁画のように中世初期の聖堂の壁画装飾全体が残っていることは、極めて稀なことと言われています。

海外旅行は世界遺産のデッサウ・ヴェルリッツの庭園王国へ行こう!

デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国
Garden Kingdom of Dessau-Worlitz


海外旅行は世界遺産デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のデッサウ・ヴェルリッツの庭園王国をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4
登録年  2000年

Garden Kingdom of Dessau-Worlitz

世界遺産のデッサウ・ヴェルリッツの庭園王国は、ドイツ連邦共和国、中北部に位置し、エルベ川の支流のムルデ川が流れるデッサウとヴェルリッツに広がる庭園景観です。

世界遺産のデッサウ・ヴェルリッツの庭園王国は、ヨーロッパ大陸で最初に造られた英国式庭園です。
また、世界遺産のデッサウ・ヴェルリッツの庭園王国は、規模もヨーロッパにおいて最大級で、「ヴェルリッツの英国式庭園」とも呼ばれています。

世界遺産のデッサウ・ヴェルリッツの庭園王国は、18世紀後半に理想の庭園を目指しアンハルト=デッサウ侯レオポルト3世・フリードリヒ・フランツによって創設され、このとき英国式庭園をデザインした造園家はヨハン・フリードリヒ・アイザーベックです。

世界遺産のデッサウ・ヴェルリッツの庭園王国にあるルソー島は、ジャン・ジャック・ルソーが埋葬されたエルムノンヴィルの島を模倣したものと言われています。

この他、世界遺産のデッサウ・ヴェルリッツの庭園王国内には、神殿や宮殿など多くの建物が建造されており、これらは中央ヨーロッパの建築に影響を与えたとされています。

【世界遺産デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国の見どころ】

4月~10月には世界遺産デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国を巡るガイドツアー(所要2時間)があります。
また、庭園をくまなく張り巡らされた運河を巡るゴンドラ遊覧(所要45分)もお勧めです。

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