各国の世界遺産を紹介しています。海外旅行が初めての方も、海外旅行の達人も海外に行くなら世界遺産を旅してみませんか?海外旅行で世界遺産を訪れる際の参考にして頂ければ幸いです。

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海外旅行は世界遺産のアマルフィ海岸へ行こう!

アマルフィ海岸
Costiera Amalfitana


海外旅行は世界遺産アマルフィ海岸に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のアマルフィ海岸をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4,5
登録年  1997年

Costiera amalfitana

世界遺産のアマルフィ海岸は、イタリア共和国、カンパーニア州サレルノ県、ソレント半島南岸のソレントからポジターノ、アマルフィを通ってサレルノに至るまでの約30kmの海岸線一帯です。

世界遺産のアマルフィ海岸は、世界で最も美しい海岸と言われています。

アマルフィの街の名の由来は、ギリシア神話の英雄ヘラクレスが愛した妖精の亡骸を最も美しい海岸に埋葬し、彼女の名をその街に付けられたと伝えられています。

アマルフィの起源はローマ時代にまで遡り、839年には、ナポリ公国から独立してアマルフィ公国となり、そして、イタリアの商業の中心地として地中海貿易を支配するまでになります。

また、アマルフィの歴史はヴェネツィアやジェノバよりも古く、地中海を航行する際に羅針盤が使用されたのもアマルフィが最初だったといわれています。

しかし、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサなどの海洋都市国家が繁栄すると次第にアマルフィは衰退していきました。

そして、アマルフィは1343年の大嵐で、都市の大部分が破壊され、街は終焉を迎えることとなります。

【世界遺産世界遺産のアマルフィ海岸の見どころ】

世界遺産のアマルフィ海岸の市街にはヨーロッパ、ビザンツ、イスラムなどの様式が複雑に混じり合った独特の町並みが残されています。

高級リゾートのポジターノや丘の上に建って海を見下ろすラヴェッロ、アマルフィの町の中心には千年の歴史をほこる大聖堂、アマルフィ大聖堂があります。

急勾配の斜面に貼りつくように広がった町には、迷路のように道幅の狭い通りが張り巡らされて、その多くが階段になっています。

また、世界遺産世界遺産のアマルフィ海岸では、自然の地形を利用して、オリーブやレモンなどを栽培するなど、人々は今も当時と変わらぬ生活を続けています。

海外旅行は世界遺産のポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域へ行こう!

ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域
Archaeological Areas of Pompei, Herculaneum and Torre Annunziata


海外旅行は世界遺産ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 3,4,5
登録年  1997年

Ruins of Pompei's Civil Forum

世界遺産のポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域は、イタリア共和国、カンパーニア州ナポリ県に位置する、西暦79年のヴェスヴィオ山の噴火によって埋もれてしまったポンペイやエルコラーノの都市遺跡およびトッレ・アンヌンツィアータのヴィラの遺跡です。

ポンペイは築かれ始めたのは紀元前6世紀頃とされ、紀元前80年以降はローマの傘下に入っています。
当時のポンペイは海に面した港町で、ローマの文化が多く流入する中で発展していました。

港は地中海貿易の拠点として栄え、長らく噴火のなかったヴェスヴィオ山の斜面ではブドウなどの栽培が営まれていました。

ポンペイでは羊毛加工と並び、ワインの醸造が主要な経済活動のひとつとなっていたのです。

しかし、1世紀には地震が頻発するようになり、西暦62年には、マグニチュード8の大規模な地震に見舞われます。

この地震によって、ポンペイだけでなく周辺の地域、ヘルクラネウム(現エルコラーノ)なども大きな被害を受けました。

この大地震の復興もままならないまま、ついに西暦79年8月24日、ヴェスヴィオ山が大噴火を起こします。
ヴェスヴィオ山から噴き出した岩石がポンペイに落下し、やがて高温の有毒ガスと火山灰が時速百kmを超えるスピードでポンペイを覆います。

この一瞬で約2,000人が命を奪われたといいます。

13時ごろ始まった大噴火は、翌日の朝まで実に約19時間続きました。

世界遺産ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域は、17世紀まで埋もれたままになっていましたが、ポンペイは1748年から、エルコラーノは1709年から、トッレ・アヌンツィアータは1964年から発掘が進められました。

1863年には、考古学者ジュゼッペ・フィオレッリが、火山灰土中の空洞に石膏を流し込むという手法で、火砕流に巻き込まれた後、遺体が分解した人々の最期の姿を復元しています。

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【世界遺産世界遺産のポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域の見どころ】

世界遺産世界遺産のポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域では、ポンペイのアポロ神殿、市場や大劇場、フォロ(公共広場)、住宅や商店などからはローマ時代の人々の贅沢で充実した市民生活の様子を見ることが出来ます。

海外旅行は世界遺産のモデナの大聖堂、トッレ・チヴィカ及びグランデ広場へ行こう!

モデナの大聖堂、トッレ・チヴィカ及びグランデ広場
Cathedral, Torre Civica and Piazza Grande, Modena


海外旅行は世界遺産モデナの大聖堂、トッレ・チヴィカ及びグランデ広場に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のモデナの大聖堂、トッレ・チヴィカ及びグランデ広場をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4,5
登録年  1997年

Modena

世界遺産のモデナの大聖堂、トッレ・チヴィカ及びグランデ広場は、イタリア共和国、北部、エミリア・ロマーニャ州モデナ県の県都にある大聖堂と隣接する塔と広場です。

世界遺産のモデナの大聖堂は、1099年に4世紀のモデナの司教サン・ジミニャーノを称え、主任建築家ランフランコの指揮下で建てられました。

モデナの大聖堂はランフランコの後、彼の後継者たちによって装飾されました。

そして、世界遺産のモデナの大聖堂は、ロマネスク様式とゴシック様式の融合した傑作であるとされています。

また、隣接するトッレ・チヴィカは、高さ88mの白大理石の鐘楼で、風向計にギルランダ(花冠)があるため「ギルランディーナ(小さな花冠)」の愛称で呼ばれています。

モデナの大聖堂は、隣接するトッレ・チヴィカとグランデ広場とともに、一体となって中世イタリアの自由都市の発展の様子を伝えており、中世キリスト教都市における信仰と市民生活の結びつきも伝える優れた例証として、世界遺産登録されました。

【世界遺産世界遺産のモデナの大聖堂、トッレ・チヴィカ及びグランデ広場の見どころ】

世界遺産世界遺産のモデナの大聖堂の外観はレリーフが施されています。

また、大聖堂の内部に14世紀からある木製の十字架像が有名です。

Modena cathedral

海外旅行は世界遺産のポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群(パルマリア、ティーノ及びティネット島)へ行こう!

ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群(パルマリア、ティーノ及びティネット島)
Portovenere, Cinque Terre, and the Islands (Palmaria, Tino and Tinetto)


海外旅行は世界遺産ポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群(パルマリア、ティーノ及びティネット島)に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群(パルマリア、ティーノ及びティネット島)をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,4,5
登録年  1997年

Manarola on Cinque Terre

世界遺産のポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群(パルマリア、ティーノ及びティネット島)は、イタリア共和国、北西部リグーリア州の東リヴィエラに位置する5つの集落と沖合いにある小島群です。

ポルトヴェネーレは、中世にゴシック様式のサンピエトロ聖堂が建築されたほか、詩人バイロンに愛された地としても有名です。

ポルトヴェネーレには、チンクエ・テッレ(「五つの土地」の意)と呼ばれる5つの村があり、沖合いには美しい小島群が点在しています。

5つのチンクエ・テッレ
・モンテロッソ・アル・マーレ (Monterosso al Mare)
・ヴェルナッツァ (Vernazza)
・コルニリア (Corniglia)
・マナローラ (Manarola)
・リオマッジョーレ (Riomaggiore)

チンクエ・テッレは、険しい海岸に色とりどりの家屋が並ぶ文化的景観が評価されて、ポルトヴェーネレやパルマリア島、ティーノ島、ティネット島などの小島群などと共に世界遺産に登録されました。

【世界遺産世界遺産のポルトヴェネーレ、チンクエ・テッレ及び小島群(パルマリア、ティーノ及びティネット島)の見どころ】

5つの集落のうち最大の人口を有するのは東南端のリオマッジョーレで、ラ・スペツィアから西へ7km、州都ジェノヴァから東南東へ72kmの距離にあります。
西北端のモンテロッソ・アル・マーレとの間は直線距離にして約8km隔たっています。

また、チンクエ・テッレはワインの産地としても知られています。

海外旅行は世界遺産のパドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)へ行こう!

パドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)
Botanical Garden (Orto Botanico), Padua


海外旅行は世界遺産パドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)に行きましょう!
今回は、海外旅行世界遺産のパドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)をご紹介します。

登録区分 文化遺産
登録基準 2,3
登録年  1997年

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世界遺産のパドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)は、イタリア共和国、ベネチアの西約30km、ヴェネト州にあるパドヴァ大学付属の植物園です。

世界遺産のパドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)は、大学付属の植物園としては世界最古のもので、自然科学研究のためにパドヴァ大学の植物学者フェデリコ・ボナフェーデによって建設されました。

1222年に創立したパドヴァ大学は、イタリアではボローニャ大学に次いで2番目に古い大学で、特に医学、自然科学の分野での誉れ高い大学です。

パドヴァ大学は、ガリレオやダンテ、ペトラルカが教鞭を取り、コペルニクスが学んだことでも知られています。

世界遺産のパドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)の設計は、建築家のアンドレア・モロニが担当し、1545年5月29日にヴェネツィア共和国議会により設立が許可され、ジュスティーナ修道院の一部を植物園することで同年7月7日に開園しました。

【世界遺産世界遺産のパドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)の見どころ】

世界遺産世界遺産のパドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)では、水路に囲まれた地球をイメージした円形の区画は造設当時そのままで残されています。

世界遺産世界遺産のパドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)最古の植物は、1585年に植えられたヤシの木です。

この他にも世界遺産世界遺産のパドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)には、多様な植物を見ることが出来ます。

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